Sep,26,2012

私たちの赤裸々な日常をつづったチャリダー日記、インド・ラダック編Vol.1。
今回は、レー出発から、カルギルを経て、パドゥムに到着するまで日記です。
なお、GoogleMap、標高プロファイル、距離一覧表、簡単なホテル情報をNotesにまとめてありますので、そちらも参照して下さい。
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2012.07.21 Leh – Alchi 65km Hotel

いよいよ出発。今日の道は軍施設が多く、景色も痺れるほどではないのだけど、久しぶりのハイランドの空気感が嬉しくて二人ともハイテンションで走る。しかもチベット文化が風景のアクセントになっていてたまらない。タルチョ(祈りの旗)やチョルテン(仏塔)、ゴンパ(お寺)など、どれもこれもこのあたりの風景とマッチしていて素敵だ。
今日は有名なゴンパがあるアルチ村で早めに終えてゴンパ観光へ。アルチはのんびりした雰囲気のいい村だったし、ゴンパ内部の仏教美術も美しかった。チベット本土を旅した時にはゴンパが素敵だとはあまり思わなかったのだけど、アルチのゴンパ内部は色使いも建物の雰囲気もかなり好みだ。
ゴンパ見学の後はのんびり村を散歩。暇そうな野良犬がずっと僕らに付いきてかわいい。呼ぶとほいほい付いて来るのでホイ太と命名。宿に戻る途中で日本人チャリダーのご夫婦と出会う。インドから旅を始めたお二人、この先も同じようなルートを走ることになるのでどこかで一緒に走れたら楽しそうだ。チャリダーに会うだけでも嬉しいのに、日本人の、しかもご夫婦の、しかも素敵なお二人と知り合えて、とても嬉しい出会いだった。(ひろ)
2012.07.22 Alchi – Skurubchan 61km Camp

今日はおもいっきり天気がいい分凄く暑い。カルツェを過ぎてダーに向かう道を走り始めてくらいから強烈に暑くなってきてダウン。岩陰で休みながら進む。ダーへの分岐に入ってからは交通量も少ないし、目の前にそびえる岩山の、とろけているようにみえる柄の岩肌がくっきりした青空に映えていて美しいし、点在する村々は眩しい緑に囲まれていて目に優しい。
スクルブチャンでそろそろ泊まってもいい時間になったので、村でテントを張らせてもらう事にする。その日の素敵なエピソードはこちらのブログで。
泊めてもらった家の娘ドルカは本当にいい子だった。こういう滞在で英語が通じると色々と会話ができていい。もちろん言葉が通じなくても親切にしてくれる気持ちなどは充分伝わってくるし、温かい気持ちになって嬉しいことには嬉しいのだけれども、理解を深めるのには言葉は不可欠だと思う。
晩御飯は二人で麺を250gしか食べなかったのにお腹がいっぱいになった。この小さい胃袋はいつまで持つかが見もの。あっという間に二人で倍の量でもお腹がいっぱいにならない日がやってくるだろう。(ようこ)
2012.07.23 Skurbuchan – Dah 39km Hotel

朝食を食べているとドルカがやってきて「ご飯食べる?お茶飲む?」と誘ってくれるので、お茶をご馳走になることに。バター茶に始まって、ヨスという麦ポンみたいなお菓子、ツァンパ(大麦を炒って粉にしたもの)などのローカルフードをご馳走になる。ツァンパは香ばしくて美味しかったし、バター茶が飲みやすくてびっくりした。チベット本土ではヤクのミルクを使うので臭いがきつくて苦手だったのだけど、こちらでは牛のミルクで作るので飲みやすい。それにしてもバター茶はエンドレスで注がれ、ひたすら飲め飲めと勧められる。さすがにお腹いっぱいなのだけど、どうやったら失礼なく断れるのか分からない。
ひとしきりご馳走になった後、ドルカがゴンパを案内してくれることになった。高台にあるゴンパからの見晴らしも良かったし、内部も雰囲気があってよかった。ドルカがゴンパの中を合掌しながら回っていたのが印象的だ。帰りに再びチャイをご馳走になってから出発。ドルカとその家族にはすっかりお世話になった。
ダー村は道路沿いにあると思いきや実は道路から一段高いところにあって、最後は押して歩かないといけない。僕らは村の入り口が分からずに迷いに迷って、結局村人に手伝ってもらいながら自転車を担いで水路伝いに歩いたり、トレッキングみたいな道を通ったりしながら、ようやく村に到着。花の民ドクパ族が暮らすダーの村人たちは、穏やかだけど何となくよそよそしい。観光客のカメラ攻撃にうんざりして距離を取りたがっているのだろうか。頭に花を飾っている人も何人かいたけど気軽に写真を撮れるような感じではない。無理に取るのは嫌なので結局一枚も写真はとらなかった。エチオピアの少数民族みたいに完全に観光地化していればお互い割り切れるのだろうし、逆に全く観光地化されていないところだと「写真撮って撮って!」とせがまれるのだけど。ううん、なんか観光って難しい。(ひろ)
2012.07.24 Dah – Mulbekh 56km Hotel

ダーを脱出するのは面倒だったけれども、昨日来た道よりはずいぶんと楽だった。道路がない村は不便だけど、空気はきれいだし、うるさくないし、木々になっているアンズは排気ガスで汚染されていないので気軽ぽんぽんと口に入れられるのがいい。
今日は昨日来た道を少し戻って、チクタン村を経由する道を走った。景色もいまいちパッとしないし、点在する村々はイスラム系でチベット系の村よりも雑然としていて雰囲気がない。イスラムのエリアだから出会う人々に「サラーム」と挨拶してみるもいまいち反応が良くない。「ハロー」と挨拶したほうが反応がよいのだけど、挨拶くらいローカルの言葉でしたいなと思っているのでなんか複雑な気分。
レー・スリナガルロードに戻ると道が立派になった。標高3720mと地図に表記してあった峠は実際には3860mあった。小さい違いのようだけど、残りの140m分はすっかり気持ちが切れたあとのアップなので精神的にきつくて長い。これがラダックに来て初の峠。タルチョがはためく峠は10年ぶりで嬉しい。
下ったところの村でチャイ休憩。美味しいマサラチャイ4杯、ゆで卵2個、パイ1個で合計35ルピーって激安。35ルピーって50円ですよ!!カルギルまで走ってしまってもいいかと思ったのだけれども、ムルベックで終了することにして明日はカルギルで半日休憩にすることにした。ノンビリ進もう。(ようこ)
2012.07.25 Mulbekh – Kargil 38km Hotel

今日はカルギルで半日休憩の予定だ。カルギルまで40km弱の下り道なのでさくっと到着するかと思いきや、いたるところで工事中のために道は悪いし、トラックは多いし、砂ぼこりと排気ガスで空気は悪いしでなかなか大変だった。カルギルは騒々しくて埃っぽく、あまり好きになれない街。しかもどの宿も高い割にコスパが悪くてしょんぼり。インドではツーリストがあまり来ない街では宿代が高いと聞いていたのだけど、どうやら噂は本当のようだ。いくつか回った後、丘の上に政府経営のツーリストバンガローがあると言うので足を延ばしてみたら、何と200ルピーで広い部屋&ホットシャワー付きという破格の宿だった。一旦丘を下って川近くのオフィスで予約をしてこないといけないアホくさいシステムだったけど、お陰で快適なのんびり半日休憩になった。熱々&たっぷり水量のホットシャワーで最高に気持ちいい。(ひろ)
2012.07.26 Kargil – Panikhar 65km Hotel

インドの朝はチャパティとオムレツ、甘いチャイとなかなか嬉しい内容で始まる。このゴールデンコンビ、朝食はもちろんだけど、ついでに昼食用にも作ってもらってタッパーに詰めて持ち運ぶことが多かった。
今日から楽しみにしていたスルバレーだっていうのに朝からどんよりとした空で、間もなく雨になった。降ってもパラパラくらいしか降らないと思っていたラダック地方だったのに、結構降り続けた。スルバレー(カルギル・パドゥム間の約240km区間の前半)はイスラム地域。イスラムファンの私たちとしては久々のイスラムエリアで嬉しかったのだけれども、このスルバレーのイスラムエリアはあまりフレンドリーではなく、どちらかというと挨拶も控えめで、それどころか子供たちから「ペンくれ、飴くれ」とせがまれることが多かったのが残念。立派な家や畑が多くて用水路などがしっかりとしているチベット系の村に比べ、イスラム系の村々は村全体が貧しい雰囲気のことが多く、インドではマイノリティということもあって苦しい生活を強いられているのかもしれない。
サンクーまでは立派な舗装路だった。サンクーは意外に店が多い。チクタン周辺のイスラム地域でも感じたのだけれども、チベット系のエリアではあまり店がないのに、イスラム系の村々には小さな村でも数軒の商店があることが多かった。イスラム系は商売に強いのだろうか。(ようこ)
2012.07.27 Panikhar – Rangdom 52km Hotel

今日もいい天気で山もくっきり見える。気持ちよく20kmほど走ってイスラム圏最後の村パルカチックでチャイ休憩。チャイ屋にも隣の雑貨屋にも男どもがたむろしている。女性はみんな働いているのにイスラムの男性は何をしているんだろう。パルカチックから15kmほどは悪路の急な登りが続く。途中にタルチョとチョルテンが見えてチベット仏教圏に戻ってきたことを教えてくれる。やっぱり登っている先にタルチョがあるとテンションが上がる。今日の道は山も谷も緑も素晴らしい。ただでさえ悪路で速く走れないのに、頻繁に立ち止まって写真を取るのでなかなか前に進まない。
夕方近く、ラングダム村の数キロ手前に小川をいくつか渡るスポットがあった。まずに自転車を担いで渡り、次に荷物を持って渡っている時、横を通り過ぎた車の風圧で僕の自転車が倒れてパスポートやお金や電子機器が入っているハンドルバッグが浸水してしまいブルーな気持ちになる。ついでに川を渡っている時に二人とも靴を濡らしてしまう。もう夕方なので太陽で乾かすこともできず、冷たいなーと思いながらも夕暮れまでには村に着きたかったのでそのまま走り続け、何とか夕暮れ前にラングダムに到着。でも到着するなりようこが気分悪い、寒いと震えだした。宿の部屋に入って全ての服を着込んで寝袋を二重にかけても震えが止まらない。特に手足は痙攣したみたいにブルンブルン震えているし、呼吸もなかなか整わない。今日は3300mから4000mまで一気に上がってきたし、走行時間も長すぎたし、最後に体を冷やしてしまったので、疲れすぎ&酸素薄で低体温症みたいになってしまったみたいだ。温かい飲み物とペットボトル湯たんぽと薬(ダイアモックス)でようやく落ち着いてきたけど心配だ。引き続き調子が悪そうだったら少し高度を下げるために来た道を戻らないと。(ひろ)
2012.07.28 Rangdom – Parkachik (Hitchhike) 0km Hotel

朝になっても具合がよくならなかったので、自転車や荷物をラングダムの宿に置かせてもらってヒッチハイクで来た道を下ることにした。一部屋丸ごと借りて荷物を入れ自前の鍵をかける。これが1日200ルピー(300円)で出来てしまうのだから物価の安い国はこういう時に助かる。運よくすぐに乗せてくれるトラックも見つかり、昨日来た道をガタガタと戻る。トラックに乗っていてもかなり揺れが激しくて大変な道。狭くて状態も悪いこの道でトラックを運転するのも気が抜けなくて大変そうだ。トラックのドライバーは真面目な心優しい青年で、道端にたたずむ貧しそうな女性を発見してわざわざトラックをバックさせて「大丈夫か?」と声をかけたり、途中でヒッチしてきた3人の女の子たちを最初はトラックの席がいっぱいだからと断ったものの、なんとか乗せてあげたりした。
標高3600mのパルカチックで降りて、もし容態がよくならなければさらに一昨日泊まったパニカール(標高3300m)まで下ることに決めた。トラックを降りてすぐは調子がよかったのだけれども、パルカチックの宿がやけに丘の上にあって、しかも遠回りをしてしまったのもあって、かなり息切れが激しく具合が悪くなる。こんなんで私は明日・明後日から再び自転車を漕ぎ始められるんだろうかと落ち込んでしまう。丘の上の宿は景色もよく、ケアテーカーのおじさんたちもいい人で、トレッカーが数人いて明るい雰囲気でゆっくりできた。午後にはだいぶ調子もよくなって、少しずつ走る自信を取り戻してきた。
この夜、ハンガリーの友人バラージュと奇跡の再会を遂げたのだけど、そのことはこちらのブログで。(ようこ)
2012.07.29 Parkachik – Rangdom (Hitchhike) 0km Hotel

ようこの調子はすっかり戻ったようなので、今日はラングダムに戻って高度順応を兼ねた休憩日にする。朝食を食べ、山を見ながら日向ぼっこをしてからメインロードに下ると、2時間くらい前に宿を出たフランス人のサイモンがまだヒッチハイクできずに途方に暮れていた。困ったねーなんて話していたら僕ら到着の15分後くらいに一台のトラックが現れて一人100ルピーでラングダムまで連れていってくれることになった。僕らってラッキー。トラック内は前室全てがクッションで覆われていて座り心地も良い。でもヒッチハイクもたまにはいいけど、ガタガタ揺れて景色はほとんど楽しめないし、やっぱり自転車がいい。
ラングダムには午前中に到着。昼はゆっくり休憩してようこの状態がいいのを確認した後、リハビリがてら約5km先のゴンパまで自転車で向かう。ゴンパではほとんどの僧侶がダライラマに会いにパドゥムに行ってしまったようで留守番の2人しかいなかった。ラングダムのゴンパも外見こそショボいけど中は厳かな雰囲気で素晴らしい。ちなみにサイモンはとぼとぼ歩いて行ったのに、パスポートを持っていなかったのでゴンパ入口で軍に止められては入れなかったそうだ(ラングダムのゴンパは過去にイスラム教徒から襲撃されたことがあるので、入口に軍の検問がある)。サイモンは1000ルピー払うから入れてくれとお願いしたのに駄目だったと嘆いていた。サイモンには悪いけど1000ルピーを拒否するなんてなかなかやるじゃないか、インド軍人。中央アジアの警察も見習ってほしい。(ひろ)
2012.07.30 Rangdom – After Penzi La 47km Bush Camp

朝起きたら残念なことに曇り。今日は峠越えだから晴れてほしいのに。いつもの食堂で朝食を食べ、さらにお昼用にチャパティ10枚とオムレツ2枚を購入。お昼にオムレツが食べられると思うと俄然やる気が出る。
なかなか峠道が始まらず、頂上の10kmくらい手前からやっと登りが始まる。ゆっくりとした登りで楽な峠だったのだけど、タルチョがはためいている頂上だと思っていた場所が実は頂上ではなくて、そこからまだ2,3km登らなくてはならなかったので気持ち的に疲れた。天気は悪かったけど登りの景色も美しかったし、下りのDrang Drung氷河は迫力があって、そのころには青空が出てきてくれて更に景色を楽しめた。
下ったところでイギリス人のサイクリストカップル、ニールとハリエットに出会う。彼らと話しているうちに、私たちが南米のアンデスを走っていたときに彼らのブログを参考にさせてもらっていたということに気がついた。南米の話でしばし盛り上がる。今日は頑張ってさらに25kmくらい先の村まで走るつもりだったけれど、ニールによると村人たちは全員ダライラマに会いにパトゥムへ行ってしまって村は空っぽだということだったので、無理して村まで走らずに野宿することに決めた。
ひろが道路からは完全に隠れた、でも景色のよい野宿スポットを見つけてくれたので安心してのんびりキャンプが楽しめた。標高は4000m超だけど私たちのメッシュテント、ムッシュ君でも全く寒くなかった。安いテントだったのでどこまで耐えられるか心配したけれど、マーモットのライムライト3、思いのほか優秀なテントのようだ。
晩御飯はタイの米麺(レーで購入)に、だし+ドライベジタブル+大豆ミートのスープでゴージャスに仕上がった。大豆ミートはアフリカや南米でもたまに使用していたけれども、軽くて栄養があって、水で戻すとかなりの量になるので携帯食に便利。レーのドズマショップで買えるドライベジタブルも味が濃くて美味しく、こちらも軽くて便利。ドライトマトは特にいい味が出る。(ようこ)
2012.07.31 After Penzi la – Padum 60km Hotel

朝、水場に戻って朝食に麺を作ったり顔を洗ったりしてから出発。今日の道も美しいし車通りも少なくて気持ちがいい。昨日ニールたちから聞いていたとおり、途中に点在する村々は村人全員がダライラマに会いにパドゥムに行っていて空っぽだった。このあたりは人々が本当に穏やかで素敵なので村人と絡みながら走るのを期待していただけに少し残念だ。それにしても村を空っぽにしていくなんて、なんて安全で平和なエリアなんでしょう。ダライラマは今日の午前中に帰ったようで、午後になると屋根や荷台に人をたらふく乗せた帰省のトラックと次々とすれ違うようになった。
パドゥムの手前10kmくらいから待望の舗装路が始まった。舗装路って何でこんなにスムーズなんだろう。舗装路に入ってすぐのサニの村で商店を発見したのでのぞいてみたら、なんと冷蔵庫に入った冷えたコーラが買えた。二人で「神よ、都会よ!」と大興奮。今日一番都会を感じた瞬間だった。
パドゥムは一つの通りに商店やレストランが連なるだけの、村に毛が生えた程度の町。そのメインストリートは帰省のために車を捕まえようとする人々で溢れかえって異常な雰囲気だった。ダライラマ訪問中はどれだけ混んでいたんだろうか。宿も混んでいたり高かったりだったので、今日はゲストハウスの庭でキャンプを張らせてもらう。シャワーはないけど、久しぶりに水浴びができて気持ちいい!(ひろ)

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