Sep,03,2012

体にまるで電気が走っているかのようにブルンブルンと震え、もう少ししたら心臓が止まってしまうのではないかという感覚がした。
持っている服を全部着て、寝袋も二重にかぶっても寒くて仕方がない。
どうしよう、呼吸もまともにできない。
必死に吸って吐いてを意識的にする。

標高3300mパニカールから標高4000mのラングダムまで一気に走ってきたのは少し無理があったのかもしれない。
でも標高3500mのレーに10日滞在していたし、そのあとも3000m前後を1週間以上走ってきて、十分に高度順応していたつもりだった。
それに心配するのならひろの方だと思っていた私は、自分に何が起きたのか良く分からずにいた。


パニカールーラングダム間はスルバレーの中でも特に美しくて大好きな区間。


たかが50kmの道のりとはいえ、かなりの悪路だったので意外と疲労していたのもあった。
ラングダムに着く1時間ほど前に小川を渡らなくてはならなくて、そのときに足が濡れて思いのほか体が冷えてしまったのもあった。
でも、ラングダムに着くまで体に全く不調はなかった。
着いて宿を探し始めたとたんにクラッと眩暈がして、眩暈がしたと思ったら急激に寒くなって、そう思った5分後には今まで体験したことがないくらい体が大げさに上下する震えが始まって、心臓が止まるかもしれないと恐怖に感じるほど体に違和感が走った。

何度体温を測っても34度から上がらない。
ひろがたくさんのお湯を沸かしてくれて、温かい飲み物を飲み、お湯をペットボトルに入れて湯たんぽを作ってくれたので、少しずつ体の震えが止まってきて、心臓がパタッと止まってしまうんじゃないかという心配はなくなった。
体温もやっと35度台まで上がってきて、体温計が壊れていたわけではないことが分かった。
これが高山病の一種なのか、疲労と冷えからきた低体温症だったのかはよく分からないままだったのだけれども、寒気と呼吸困難は朝になってもよくならなかったので、自転車をラングダムに置いてヒッチハイクで標高が低いところまで戻ることにした。


車で渡るのならたいしたことのない浅い川でも自転車だと大変。


この日は本当は自転車走行をしていたかった。
ラダックに私たちを導いてくれたハンガリー人の友人バラージュは、毎夏ザンスカールにあるザングラ村の旧王宮の修復をしていて、私たちも彼がいるうちにザングラを訪れる予定だった。
結局ひろの高山病もあって、レー出発が遅れてしまったので間に合わなくなってしまったのだけど、
この日はバラージュがザングラからレーに向かって戻る予定になっていて、一本道なので道中どこかで会えるだろうと期待していた。
でも緊急事態なので仕方がない。
バラージュとはまたハンガリーか日本、はたまた世界のどこかで必ず会えるはずだからと諦めた。


ラングダムでお世話になった茶屋。こんなに小さいところでもご飯にカレー、チャパティ、オムレツと立派な食事にありつけることに感謝。

標高を400m下げただけですっかりと気分が良くなって、明日にはラングダムへ戻る自信もついて安心した。
滞在したパルカチックの宿は辺鄙なところだったのにトレッカーが数人いて、話し相手には困らなかったし、景色も雰囲気もいいところで、のんびりとしたいい休日になった。

夕方になって宿の入り口にもう一人の外国人客が現れた。
こんな辺鄙なところにまたお客さんだなんてね、と思ってもう一度入り口を見たら、そこに立っていたのはバラージュだった。
「バラージュ!!」と駆け寄って飛びついて挨拶してもまだバラージュが呆然と立ちすくんでる。
私たちはてっきりバラージュが誰かから「日本人を二人見たぞ、パルカチックの丘の上の宿に泊まってるぞ」って聞いてやってきたと思い込んだのだけれども、
どうやら本当に偶然だったようで、バラージュも驚きすぎてしばらく動けなかったらしかった。


パルカチックの茶屋のかわいらしい少年たち。

彼も私たちを探しながら道中をバイクで走っていた。
モーターバイクなので本当は今日中にレー、もしくはレーの近くまで進める予定だったのだけれども、
普段すぐ手に入るガソリンがなかなか手に入らず出発が遅れてしまって、パルカチックで日が暮れてしまいそうになったので滞在することにした。
パルカチックではメインロード沿いにある宿に泊まろうかと思ったのだけど、なんか丘の上の宿が気になって来てみたらなんと私たちがいた、ということだった。

会える人とはどんなことがあっても会えるもんなんだなと、
妙に運命を感じずにはいられなかった。

その夜はめいいっぱい話した。
バラージュたちの修復プロジェクトのこと、これから私たちがやろうとしている馬に自転車を載せるトレッキングのこと、高山病のこと、バラージュ家に生まれた可愛いベイビーのこと。
去年の夏、ハンガリーのバラージュの家でラダックに行こうと決めたときのことが鮮明に思い出される。
1年後に何をしているか想像できない人生ってのもいいけれども、
1年前にしたいと思ったことが実現しているということはなんと幸せなことなのだと思う。


ダライラマがパドゥムに滞在していた為にスルバレーのチベット系村人のほとんどがパドゥムに行ってしまって村々は空っぽ。スルバレー走行最終日にやっと帰省ラッシュで人々に出会えるようになった。

彼が5年前にこの地を自転車で走り、その時にハンガリーと繋がりが深いザングラの旧王宮を修復したいと思い立ち、それから5年にわたって修復のプロジェクトを続けているということが、この地域にとって、彼の人生にとってどれだけ大きなことなのか、こうやって現地でバラージュに再会して話を聞くとより現実味をもって感じられる。

感心しているばかりではいられないけれど、こういった友人からのいい刺激は、いつか作り上げるであろう自分たちの道の大きな土台になってくれているのだと思う。


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