Nov,21,2012

私たちの赤裸々な日常をつづったチャリダー日記、スピティ&キヌアールバレー編Vol.3。
今回は、カルパ出発から、サングラ・バレー、ランプールを経てリシケシュに至るまでの日記です。
なお、GoogleMap、標高プロファイル、距離一覧表、簡単なホテル情報をNotesにまとめてありますので、そちらも参照して下さい。
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2012.09.24 Kalpa – Chitkul 62km Hotel

カルパから一気に標高2000m未満まで下ってメインロードと合流する。メインロードは交通量が多いうえに工事中のため道がガタガタで走りにくい。しばらく走ると醜いダムが登場。このダムが桃源郷だったサングラ・バレーの雰囲気をがらりと変えてしまったそうだ。ダムのせいで風景が変わるだけじゃなく、人や物が流れて生活スタイルが変わるようになるからなあ。
ダムで再びメインロードを離れてサングラ・バレーへ。ここからは終点のChitkul村まで合計42km、標高差1800mをひたすら登り続ける道のりだ。最初は2日かけて登るつもりで、まず17km先のサングラ村を目指してちんたら登っていたのだけど、途中でジョルディ’sの片方と再会(もう一人とは別れて別ルートをとったそうだ)。彼から「サングラ村よりその先のチトゥクル村までいった方が景色が良いぞ」と教えてもらったので、頑張って一気にチトゥクルまで走り切ってしまうことにした。標高1800mアップの長い一日になりそうだ。
地味に地味に上り続けて昼過ぎにサングラ村に到着。確かにサングラ村は雰囲気が全くないつまらなそうな村だ。ここで遅めの昼飯を食べ、引き続きチトゥクル村に向けて走り出したのだけど、サングラ村を離れたところで突然周りが雲に覆われ、冷たい雨がしとしと降りだした。でもいまさら引き返すのもなんなので、そのまま雨の中を走り続けること約3時間、夕暮れまであと30分というぎりぎりのタイミングでようやくチトゥクルに到着した。ふう、間にあってよかった。本日の宿、夕食のターリーの味は微妙だったけど、宿のおばちゃんが愛嬌があってかわいらしい。
チトゥクルは数十軒の家が並ぶだけの小さな村。この先は数十キロでチベット国境になるので外国人は通れない、いわば行き止まりの村だ。こんな辺鄙なところでも電気が一日中あって、電気湯沸かし器式のホットシャワーまで浴びれるのにはびっくりする。ラダック地方では中心地のレーですら電気はあったりなかったりだったというのに。これもダム特需なんだろうか、それともラダック地方が見捨てられているだけなんだろうか。(ひろ)
2012.09.25 Chitkul 0km Hotel

朝起きたら雪山がくっきりと見える快晴。嬉しくてまだ朝6時だというのに飛び起きて屋上に上がってみる。そしてその勢いのまま村の散歩へ出かけた。チトゥクル村はまるで日本の田舎のような雰囲気がある。木造の家々の造りと瓦屋根風の屋根が似ているからなのだろう。小さな村だけどヒンドゥーの寺とチベット仏教の寺とが混在していた。住人もみな似ているような顔をして同じキナール帽をかぶっているのだけど、ヒンドゥー教徒だったり仏教徒だったり、外見からはどの人がどの宗教でというのが分からない。朝は霜が降りていたほど寒かったのだけど、谷に日が差してくるといっきにポッカポカになる。澄み切った青空と山々に積もったばかりの雪が眩しい。ここの住人たちはちょっぴり愛想がない気がする。きっと観光客には飽き飽きしてしまったのだろう。
朝食を物色していたらUKガールズたちと再会。彼女たちは昨日サングラ村まで自転車で走った後バスに載せてチトゥクルまで来たらしい。午前中はジョルディに教えてもらったハイキングへ出かける。ジョルディが教えてくれた登りやすい道への分岐というのを発見できず、崩れかけの崖などを登るスリリングルートを通りながらなんとかメインハイクルートに辿り着いた。結局ジョルディお勧めの雪山にぐるっと囲まれるというポイントまでは行けずだったけど、爽やかなハイクだった。帰りは拍子抜けするくらい簡単なトレイルが村近くまで続いていた。
夜はUKガールズお勧めの食堂へ。そこでナコ村で荷物紐が無くなって困っていたときに紐をくれたイスラエリーカップルのリオンとオーイと再会。獣医志望とチーズ職人の二人は穏やかで可愛いすてきなカップルだった。お勧め食堂のターリーは確かに美味しくて、特にダルが丁寧な優しい味がした。ターリーはインドの定食で、どこも内容はほとんど変わらず、米、チャパティ、サブジー(マサラで味付けされた野菜を炒めたもの)、ダル(豆のスープ状のカレー)、すっぱい漬物のセット。結局はマサラ味(カレー風味)なのだけど、それでも結構店ごとに味が違っていて興味深い。しかも全てお代わり自由なのでチャリダーの強い味方だ。食べられないくらい不味いターリーに当たったことはないけど、興奮するくらい美味しいターリーっていうのもそうそうない。ここのターリーはかなりのレベルだった。(ようこ)
2012.09.26 Chitkul – Sarahan 90km+15km(Car) Hotel

朝から約1800mを一気に下る。42kmずっと下りなのであっという間かなと思っていたのに道があまり良くなかったので2時間くらいかかった。チトゥクル周辺は赤い色をしたBuckwheatの畑が多くて、神秘的な美しさを醸し出していた。メインロードに戻ると相変わらず工事中の道が続く。いや、工事中というより舗装が剥げてしまったのを放置しているだけなんだろう、とにかく道が悪い。しかも風景も単調でつまらない。Bhabunaggarの手前でようやく綺麗な舗装路に戻った。この街でUKガールズたちと合流し、一緒に昼食を食べる。彼女らは今晩にもバスに乗ってシムラに移動するそうなので、これで彼女らともお別れだ。どんなに大変な道でもいつもキャピキャピ楽しそうにしていた彼女たち、一緒にいるとこちらまで楽しい気分になれる素敵なガールズたちだった。
昼食後は狭い崖道が続く。すれ違うのが大変な狭い道が続いているのに、バスやアーミートラックが後先考えずにひたすら突っ込むので、カーブごとに車がつまってしまう。しかも先が詰まっているのを承知で後続車も次々に突っ込んでくるから、もうにっちもさっちも行かなくて大変な騒ぎだ。どちらかが30秒だけ待っていてやれば済む話だったのに、お互いが突っ込んで、そこで言い合いをして、無駄にクラクションをプープーと鳴らし続けるから、すれ違うのに何十倍もの時間がかかっている。インドのドライバーは我慢とか譲るという言葉を一切知らないようだ。
夕方近く、Jeroiの街に到着。有名なお寺があるサラハン村に行く脇道への分岐点だ。サラハンはここから700mほど登り続けた場所にあるので夕暮れ前に到着するのは難しい。でもJeori唯一の宿はかなりしょぼくて泊りたくない。ここからさらに20kmほど進んだランプールの街に泊ってサラハンには明日バスで観光に来るか、またはここからサラハンまで一気に車に乗ってしまうか。悩んだ挙句、結局サラハンまでタクシーを使うことにした。レーを出発してからここまで2ヶ月半ずっと線をつないできたのに、こんなどうでもいいような場所であっさりと線が潰えてしまうなんて、やっぱり僕らには線をつなぐ旅はできないのかとむなしい気持ちになる。線をつなぎたいという気持ちはもともと少ない方なのだけど、2,3ヶ月も続けて走り続けていると「今更乗り物なんて乗れるかよ」、という妙な意地の気持ちが出てきてしまうのだ(これは僕だけで、ようこにそういう無意味な意地はない)。でも後日、やむをえない事情でバスワープしなければいけない事態となるので、実はこの日のタクシー移動はそのための心の準備だったのかもしれない。
とにかくタクシーで15kmなんて簡単なもので、あっという間にサラハンに到着。肝心のお寺は外観からはそこまでインパクトはない。明日の朝、寺の内部を見て回るのに期待しよう。(ひろ)
2012.09.27 Sarahan – Rampur 36km Hotel

タクシーに自転車を載せてまでわざわざやってきたサラハンだったけど、名所のヒンドゥー寺は心に響かずがっかり。乗り物にあまり乗りたくないひろを説得して来たのにひろに申し訳がたたない。でもこういうのは来てみないと分からないもので仕方がない。
今日は36km走ってランプールで休憩。ランプールは大きめの街らしく、今まで手に入らなかったようなものも皆が口を揃えて「ランプールにはある」と言っていたので、午後は買い物に費やす予定にしている。レコンペオでも人の多さ、車の多さ、インド風の混沌さに驚いたのだけれども、ランプールはもっとごった返していた。ランプールでは宿探しに手こずった。値段の割にひどい場所しかない。今日は午後いっぱいをゆっくりランプールで過ごす予定だから出来れば良いところに泊りたいのに町の大きさの割にチョイスがない。暑くて汗が垂れる中で宿を探し回る。宿探しは旅の中で一番嫌いな仕事の部類だ。私たちが泊るような安い宿は基本的に妥協の産物だ。「ここ素敵!!」なんていう宿に泊れることは滅多にない。値段の割には清潔で、値段の割には設備も整っていてと、納得には全て「値段の割には」という枕詞が付く。そんな中でも私たちは他のバックパッカーやチャリダーに比べて、宿のチョイスがある時はだいぶお金をかけている方だ。たとえその結果旅の期間が短くなってしまったとしても、快適さには変えられない。歳をとったのだなぁとしみじみしてしまう。最後の最後に見つけた宿はちゃんとした宿で助かった。いや、助かったどころか宿には熱々のシャワーがあって、有料ながらもWifiがあって、冷えたビールがジョッキで飲めた。少し古ぼけているけど素敵な宿だった。
ランプールでは買いたいものが何とか全て揃った。電気コイル、荷物紐、ブレーキシューに砂糖やクッキーといった食糧類。「何とか」と言ってしまうのは、どれもこれも「これ大丈夫か?」というクオリティのものばかりで、揃った喜びよりは不安の方が大きいからだ。結局心配通り、電気コイルは宿に戻って試してみたら使えなくて、荷物紐は2日で切れ、ブレーキシューは1週間でゴムにヒビが入った。(ようこ)
2012.09.28 Rampur – Sungil 52km Camp

10kmほどメインロードを走ってから脇道にそれ、そこからは地味に地味にひたすら登り続ける。リシュケシュにはシムラ経由で幹線道路を通っても到着するのだけど、幹線道路沿いはつまらなそうなので山道を使うことにしたのだ。分岐点の標高は900mでついに1000mを切った。緑はモリモリしていて、セミが鳴き乱れ、湿度も高く、汗がだらだらと額を流れ、とにかく暑くてしょうがない。まるで日本の夏みたいだ。
この道はマイナーなようですれ違う車もかなり少ない。特に13kmほど登ったTakleshを過ぎてからは、ほとんど車が通らないものすごく静かな道だった。でも緑溢れる道って気持ちはいいけど、ただ緑が溢れているだけの風景はあまり感動が少ないように思う。これなら日本でも見れるよなーという気持ちが芽生えてしまうせいだろうかとも考えたけど、これは単純に好みの問題なんだろうと思う。緑がなくても荒々しい高山や雪山の風景の方が僕は好きみたいだ。
今日は多少のアップダウンを含めて合計約2000m登り、標高2600mのSungil村で終了する。家が10軒くらいあるだけの小さな集落なのにレストハウス(政府経営の簡易宿)があった。室内は古臭くていまいちだったのに庭は芝生で覆われて気持ちがよさそうだったので、お願いして庭にテントを張らせてもらう。でもその代わり宿のトイレも水場も貸してもらえなかったので、トイレはその辺でということになった。ちなみに僕らは宿のトイレを使えなかったのに、村人はたまに宿のトイレに出入りしていた。だったら僕らにも使わせてくれればいいのに。今日の夕飯は久しぶりにとても不味くて撃沈。ヒンドゥー圏に入ってから、化学調味料の味が気になってしまう事が多いのは、たまたまだろうか。(ひろ)
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2012.09.29 Sungil – Tiuni 61km Hotel

朝から体中の節々が痛い。寝袋入れに寝袋を詰めるのさえ力がうまく入らない。昨日の疲れを引きずっているのかな、そんなに昨日は疲れたっけなと思いながら一日が始まる。朝食を食べた食堂でトイレを借りようと思ったら、食堂のご主人「トイレはオープントイレさ」と言う。どうやら村人たちもその辺で用を足しているらしい。それでコネがある村人の一部は宿のトイレを使いに来ていたわけだ。世界中の辺鄙なところでよく思うことなんだけど、携帯よりもテレビよりもまずはトイレが必要でしょ、順序が違うよと思う。
今日は基本下り。下りで楽かと思いきや道が悪くて思うようには進めない。しかも道のガタガタが体中の痛みに響く。体がやけに熱いのは暑いせいなのか。慣れない低地で体の具合もよく分からない。そんなことを考えているとひろとぐんぐん距離が離れてしまった。一生懸命に漕いでいるのにひろが見えなくなるようなことは普段あまりないのだけど、ひろが待ってくれて一緒に走りだしてもすぐに距離が開いてしまう。筋肉の痛みとともに手足の指の関節などが痛みだした。これはもしや熱かなと思いだしたら急にペダルを押す足がずどんと重く感じた。やっぱり病は気からだ。気が緩むと急に体がだるくなってしまう。
私の体調さえよければまだまだ先へ進めたのだけれども、今日はティウニで終了してもらうことに。
宿がある町に着いた安心感で、ひろが宿探しをしてくれている間すっかりぐったりしてしまって、自転車の前でボー然とただずんでいたら、人々が私の前にどんどん集まってくる。自転車と彼らの距離が気持ち悪いくらい近い。しかも彼ら寄ってきてただ「じー」と自転車と私を食い入るように見つめる。でっかい目を瞬きもさせずに見開いて、じりじりと近づいてくる。とうとう自転車を勝手に触ってくるものが一人。こちらも具合が悪いからジェスチャーで「触らないで」と愛想なく伝える。彼は出した手を一応引っ込める。引っ込めた直後、隣のぎょろりと目を見開いた別の輩がにょきっと手を出す。「NO」と一言言って睨む。さらにもう一人その横で順番を待っている人がいる。手を出そうとしたので目で牽制した。まるでモグラ叩き。大の大人がこのように欲望のままに行動してくるのはインド人くらいしか見たことがない。 興味があれば好きなだけ見て、好きなだけ触って、欲望のままに行動するインド人、きっとあまりストレスがたまらないんじゃないだろうか。
そんなこんなでベッドに倒れこんだときには38度。夜は38度後半になってしまった。インフルエンザなんだろうか。(ようこ)
2012.09.30 Tiuni 0km Hotel

今日もようこは38度後半の高熱を出している。ようこは小さいころから高熱が出やすい体質だったようで、熱には慣れていて38度台でも具合が悪そうにみえないし食欲もある。とはい高熱には違いないので今日は一日休んで様子を見ることにする。そういう僕も37度前後の微熱がある。気が付けばかれこれ10日近く咳と鼻水と痰が出続けているのに自転車をこぎ続けてきたのだから、まあ微熱くらい出てもおかしくない。それにしてもこんな田舎の街なのに小ぎれいな宿を見つけることができてラッキーだ。これで湿っぽくてかび臭い部屋だったら心までやられてしまうところだった。
次の目的地にして北インドの旅の終着点、リシュケシュまではあと約200km、自転車だと3日の距離だ。しかし明日は道中に宿がないのでどこかで野宿することになってしまう。仮に明日熱が下がっても自転車で走って野宿するのは危険すぎる。二人で話し合った結果、明日ものすごく体調が悪化したらもう一日休むことに、ウソみたいに体調が良くなったらさらに一日休んでから自転車を再開することにして、それ以外の場合は明日の朝、バスに乗ってでリシュケシュまで移動してしまおうということになった。北インドの旅はあっけない形で終わりそうだ。(ひろ)
2012.10.01 Tiuni – Rishikesh (By BUS) 204km(Car) Hotel

熱は相変わらず下がらないけれど、いつ良くなるかも分からないのにこんな小さな村にスタックしていてもどうしようもないので、バスでリシュケシュまで移動することに決めた。リシュケシュまでもうあと3日の距離だったのに無念。
チャリは問題なくバスの屋根に載せられたのだけど、バスチケットを合計4人分払えと言われる。一人160ルピー(約250円)だから大した額ではないのだけど、ここはインド、向こうも向こうでダメもとでお金をせびるので、こちらもこちらで「みんな大きな荷物持っているのに誰も荷物代払らないでしょ。」と、とりえず払う気は一切ないと強気で跳ね返す。意外とインド人は諦めもいい。いかに彼らが駄目もとで高値をふっかけてくるかが分かる。
次の大きな街まで120kmの距離を休憩を入れて6時間以上かかった。自転車ばりに遅い。乗り物で移動するから楽という考えは甘いようだ。大きな街でデラドゥン行きに乗り換える。次のバスが横付けしてくれて乗り継ぎがいいのは良かったのだけど、バスの屋根から屋根へ荷物&自転車を移さなくてはいけなくて、かなり急かされるし荷物をひとつ置いていかれそうになって焦る。今度のバスは自転車を縛る紐がなくて屋根の上に自転車をごろんと放置しただけ。ちゃんと荷台があるし舗装路だからノープロブレムだと言われても、バスに乗っている間不安でしょうがない。
デラドゥンでさらにもう一回乗り換えをして、リシュケシュに着いたのは夜8時。出発は朝8時だったから、なんと約200kmなのに12時間もかかったことになる。体調も悪いし道が暗いので今日はバス停近くの宿に避難。熱は相変わらず38度。長い長い一日だった。
この後私の高熱は3日ほど続き、熱が下がった後も合計2週間以上は鼻水をずるずるしていた。ひろもレコンペオから数えて3週間以上も咳&鼻水&微熱の体調不良が続いた。インドの風邪は手ごわい。この日、一気にバスで移動してきたのは正解だった気がする。(ようこ)

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