Feb,12,2012

私たちの赤裸々な日常をつづったチャリダー日記、アルゼンチン&チリ北部編Vol.3。
今回はカファジャテから、サンフランシスコ峠を越えて、チリのコピアポに到着するまでの走行日記です。
なお、GoogleMap、標高プロファイル、距離一覧表、簡単なホテル情報をNotesにまとめてありますので、そちらも参照して下さい。→Click Here!

2011.12.22 Santa Maria 79km Campsite

丸5日間休憩したカファジャテを出発。無風の中で走る舗装路はやたらとスムーズで走っているという感覚がないくらい。途中の村でコーラ休憩をしていたらアメリカに住んでいたというおばちゃんがオレンジとバナナを差し入れてくれた。この辺りの人たちはニコニコ挨拶してくれてみんな感じがいい。それにしても今日も暑い。昼休憩の時、あまりの暑さに2.25Lの炭酸飲料を二人で一気に飲み干した。
後半、10数キロのショートカットになるからと未舗装路を通ったのが失敗だった。工事中だったのもあって全然スピードが出せない。未舗装区間が終わった後も舗装なんだか未舗装なんだか分からない中途半端な路面が続いていた。やっぱり少しくらい遠回りしても舗装路を選ぶべきだった。
悪くはないけどパッとしない風景の中、いまいちテンションが上がり切らないままサンタマリアの村に到着。今日のキャンプ場は二人で12ペソ(200円)。カファジャテの宿1泊分(170ペソ)でこのキャンプ場に2週間も泊まれることになる。それでもホットシャワー、BBQ台、東屋に電源まであって設備は十分。アルゼンチン北部のキャンプ場はコストパフォーマンスがとても高くて素晴らしい。この設備の充実度だったらヨーロッパでは25ユーロは固いな。
キャンプ場到着後も暑すぎてビールしか飲む気がしなかったけれど、これでは体力がもたない!と気を取り直しステーキを買ってきて口に放り込む。今日は一日中強い北風が吹いていた。この調子なら明日は追い風かも。(ひろ)
2011.12.23 On the way 66km BushCamp

サンタマリアを出てしばらくは村々が続いた。こうやって家が続いて人といっぱい挨拶する道も久々。昨日からいっぱい人とあいさつをしている。顔をくしゃくしゃにしてよく笑って、アディオース!って手を振ってくれるのが嬉しい。
そんな村々も終わって50kmほど地図上に村がない地帯に入る。ぱったりと人の気配がなくなったかと思ったら向かい風が強く吹き始めた。強く吹き始めたと思ってから1時間もしないうちに酷い爆風になった。こういう強風地帯だから人が住まないのかなとも思ったくらい民家もない。やっと民家が現れて休憩させてもらおうと思ったら廃屋だった。家の中は平和。今日はここで終わりにして明日夜明け前から始めよう。夕方からは雷もごろごろといい始めて嵐になった。(ようこ)
2011.12.24 Belen 107km Hotel

夜明け前に起きても爆風の向かい風は全然やむ気配を見せない。こうなると朝から苦笑いするしかない。もう水も食料も余裕がないので仕方なしに外に飛び出し、前の人が少しでも風を遮るように二人で前後に隊列を組み、1kmごとに前後を交代しながらちびちびと進んでいく。平坦な舗装路なのに時速は5,6kmでやってられない。20kmほど進んで道が未舗装路&下りになったころから風がマイルドになってきた。道は悪くなったけれど途端に3倍速くらいにスピードアップだ。
Hualfinのプラザで昼休憩をしたころから再び向かい風が吹き始める。細かいアップダウンと向かい風に僕のスイッチは完全に切れてしまい、何も考えずにただひたすらペダルを回し続けていたのだけど、ようこはそんな中でも楽しそうに写真を撮っていた。本当に写真が好きなんだな。
くたくたになって到着したベレンは意外と大きな町で、カファジャテにもなかったスーパーマーケットまであって2人で興奮する。今日の宿はスーパーの目の前。スーパーまで徒歩10秒なんて今の僕らには甘美な響きだ。(ひろ)
2011.12.25 Belen 0km Hotel

今日はクリスマスっていう言い訳で休憩。峠疲れがどんどんたまってきているのか、ちょっとしたことで心が折れそうになって休憩が必要となる。どう考えてもこの先のサンフランシスコ峠を越えたらアンデス編は終わりになりそう。サンフランシスコ峠ですら越えられるかあやしくなってきてるし。それでも今日一日の休憩で、だいぶポジティブにサンフランシスコ峠に向かえそうな気がしてきた。
何にもないベレンなのに、私たち以外にもオランダ人家族とアルゼンチン人&フランス人のカップルが泊まっていた。クリスマスって欧米人にとってはもっと大切な時間で、多くの欧米人パッカーやサイクリストがクリスマスをどの街で過ごすかを真剣に悩んでいたのだけど(日本人が正月をどこで過ごすか悩むのと一緒)、どうでもいいような町のどうでもいいような宿で過ごしちゃう人たちもいるのね。
オランダ人家族はオーストラリアのエコヴィレッジに住んでいる人たちで、基本自給自足のエコヴィレッジの暮らしのことをもっともっと聞いてみたかった。せっかくだから遊びに行ってみるかな。でもオーストラリアは遠いな、、、。(ようこ)
2011.12.26 Tinogasta 81km Hotel

100km近く短縮できるというので、今日も懲りずに未舗装路&峠道のショートカットルートを選ぶ。押しが必要なところもあったけれど、花つきのサボテンが可愛らしいし景色も良かったので今日は楽しい走行だ。でもあいかわず暑い!!温度計を持っていないので正確にはわからないけれど、40度は余裕で越えているんじゃないだろうか。
下り道に入ると道がめちゃくちゃ悪くなった。最初のくねくね下り道パートは景色がきれいで楽しかったけれど、最後の20kmくらいは単調な真っすぐ道な上に、深い砂に埋もれた干上がった川を頻繁に超えなければいけなくて、全然思うように進めなかった。何度も途中で野宿しようと言いかけたけれど、野宿恐怖症再発のようこが必死で走っているので僕も頑張って付いていく。思ったより暑くて途中で飲み水が切れてしまい脱水症状気味になりかかった。飲み水が切れると頭がぼーっとしてくるし手足はしびれてくるしでかなり危険だ。もうすぐ日没&あと10kmで町到着というところだったけれど、あえて休憩を入れてお湯を沸かして飲み水を作り、できたてのお湯をごくごくと1,5Lほど飲み干して息を吹き返す。
ティノガスタは大きな町なのに安宿がないしATMも作動しなくて少し困った。人に聞いて探し当てた看板もない民宿は薄気味悪い雰囲気のおばあちゃんが登場したので断念。断ったら「なんで?何が不満なの?」としつこく聞かれてなかなかパスポートを返してくれず余計に疲れた。夜9時ごろになって結局高めの宿に落ち着く。冷たいビールが胃にしみる。アルゼンチンでのベストビール賞をあげちゃうくらいうまかった!(ひろ)
2011.12.27 Fiambala 49km Campsite

カファジャテからサンフランシスコ峠のふもとフィアンバラの村までは鼻歌まじりの楽勝移動かと思っていたのに、爆風向かい風やら、悪路の未舗装路やら、日射病になりそうなくらいの暑さやら、まるで障害物競争並みにいろんなハードルが用意されていて参った。やっとの思いでフィアンバラ到着。ここまで来たらもうどう転がってもサンフランシスコ峠を登るわけで、やっと着いた!という想いの中には、今まで色々とくじけそうになった思い出なども込められていて、なかなか感慨深かった。
しっかし暑い。高地を走るよりも低地のこの暑さの中で走るほうが辛いし、走りながら“私たちこんな暑い中で走っていて頭おかしいんじゃない?”って思うほど暑い。ビールがたまらなく美味しいのはボーナスだけど。
フィアンバラのキャンプ場はEl Paraisoという名前の通り小さなパラダイスだった。ファシリティーはたいしたことないのだけど、小さなお庭のようなキャンプサイトで、経営している家族は何かと気にかけてニコニコと話しかけてくれて居心地がいい。今日の晩御飯BQQは飛び入り参加のアルゼンチン人客マリオがアサードの仕方など色々教えてくれて楽しい晩御飯になった。陽気なマリオは一人だから寂しいと肉&酒持参で私たちのBBQに飛び入り参加してきたわけだけど、たどたどしいスペイン語の私たちの中に果敢に飛び込んでくる勇気は素晴らしい。しかも私たちのあやしいスペイン語を大いに理解して話をどんどん盛り上げてくれる明るいマリオとの晩御飯は楽しくて、気づいたら深夜になっていた。(ようこ)
2011.12.28 Fiambala 0km Campsite

明日からの峠越えに備えて今日は休憩日。昼ご飯に昨日マリオに教えてもらったアルゼンチン流のBBQを堪能する。チミチュリというBBQ用のスパイスにオリーブオイルとお酢を混ぜるのがポイントだ。今日も骨付き肉が絶妙だ。ひょっとしたらこれがアルゼンチン最後のアサード(BBQ)になるかもしれないと思うと本当に切ない。アルゼンチンではよくこうやってキャンプ場でいい休日を過ごした気がする。数年後に思い出すのは峠の風景じゃなくてキャンプ場で食べた肉、なんだろうか。
昨日作動していなかったATMも今日は復活していて無事お金も下ろせた。明日からの8日分の食料を買い込み、ついでにビールやコーラまで詰め込んで準備は万端。でも夕方から雨が降り出し、一晩中降り続いていた。峠が雪で埋もれていないか心配だ。(ひろ)
2011.12.29 On the way (Paso de SanFransisco) 69km Refugio #2

心配していた雨も朝には止んでいた。峠は登り始めからいい景色が始まった。色々あったけどこの峠まで辿り着けてよかったと、走り始めてすぐに感謝した。それにしても今日も暑い。早く標高の高いところまで行ってしまいたい。
今日はレフヒオ(避難小屋)#2で終了。このルートには合計6つの小さな無人の避難小屋が道路脇に設けられて無料で泊ることができる。いったい誰のため?まさかチャリダーのためじゃないでしょ?と謎だったのだけれども、なんと夜9時過ぎにうつらうつらと寝ていたら2組連続でこのレフヒオを利用しようとやってきた。小さい小屋なのでどちらも「じゃ、次のレフヒオに行ってみるわ」と去っていったけど、一組は若者2人、もう一組はおじさん2人と、どちらも車なのにこのレフヒオで夜を明かそうとしている人たちがいることに驚いた。車だったらすぐに町に着けるじゃん。ずっと舗装路なんだし。それにしても自転車で一生懸命漕いできてこのレフヒオが満員だったら悲しいだろうなぁ。外は風がゴウゴウと唸っているし。その後は内側からカギをかけてぐっすりと朝まで寝た。(ようこ)
2011.12.30 On the way (Paso de SanFransisco) 65km Refugio #4

約30km先にあった巨大ホテルで水を補給させてもらう。何もない峠道の途中に旧ソ連風の微妙な外観の巨大ホテルを作って、いったい誰が泊まるんだろうか。実際に巨大なレセプションホールも設備充実のキッチンも全然使われていない様子だった。チャリダーとしては水をいただけるのでありがたいけれど。
幸運なことに今日も追い風が続いていたので、今日も絶景を堪能しながら楽しく自転車を走らせる。向かい風じゃないだけで景色を数倍も楽しみながら走れるので嬉しい。少し早めにレフヒオ#4に着いたのだけど、今日はここで終了することにした。年末年始だし、食糧に余裕あるし、せっかくの絶景なのに急いだってしょうがないもの。このレフヒオの近くには清流が流れているという事前情報だったのに濁った水の川しかなかった。ホテルで多めに水をもらっておいてよかった。
レフヒオでのんびりしながら、このサンフランシスコ峠でアンデス編を最後にしようと二人で相談する。お互いにそう思っていたのは気配でわかっていたのだけど、改めて二人で相談して決定するとなんだか感慨深い。最後がこの素晴らしい峠でよかったかな。あとわずかしか残されていないアンデスの日々、思い残すことがないようにたっぷり堪能しなくちゃ。(ひろ)
2011.12.31 On the way (Paso de SanFransisco) 44km Refugio at Immigration

今日の道も相変わらずダイナミックで素晴らしい。昨日急いで先に進まなかったことで、この素晴らしい道をゆっくり楽しみながら走れるのもいい。舗装路で走りやすいのに、ほとんど車は通らないからフラフラ好きなようによそ見しながら走れるが嬉しい。本当に美しすぎてため息が出る。サンフランシスコ峠、今までのどの峠よりも景色が素晴らしい気がする。追い風な上に道が良くて心に余裕があるからそう思えるのかもしれないけど。
国境近くのダウンヒルを下って行ったらインカワシ山が姿を現した。ドキドキと心臓がなるほど美しかった。アンデスの山々では今まで見たこともないような神秘的な彩りを楽しんできたけれど、インカワシの色はそのどの色ともまた比べ物にならないくらい幻想的な色で、目の前にあるのだけど、実はこの世に存在していないかのような、言葉にするのは難しいのだけど、なんとも不思議な存在だった。今までこんなに神秘的な山を見たことはない。もし天国があるのならば、天国に存在しそうな山。一瞬だけ姿を現したインカワシ山は再び雲の中に消えてしまった。写真にはその神秘性は全く映っていなく、普通の綺麗な山の程度にしかみえないのが非常に残念。
今日はアルゼンチンのイミグレに併設された有料レフヒオに泊る。インカワシ山やサンフランシスコ山に挑む登山家が10人くらい泊っていて年越しパーティーの準備をしていたけれど、私たちは夜10時には夢の中。(ようこ)
2012.01.01 (Chile) Laguna Verde 42km Campsite

朝起きたらサンフランシスコ山が真っ白に雪化粧をしていた。昨晩どれだけ降ったのだろうか。出国手続きを済ませ、昨日レフヒオで一緒だったスイス人チャリダーのクラウスと一緒に峠に取り掛かる。今日も奇跡の追い風だったので順調に高度を上げ、昼ごろには無事に登頂。クラウスはメルヘンな雰囲気だなあと思っていたら、案の定、記念撮影のときにサルのぬいぐるみを取り出して一緒に写真に納まっていた。ナイス!
峠の頂上にあるレフヒオ#6で、フィアンバラから運んできたビールで乾杯。朝からビールに濡れタオルを巻いて気加熱を利用して冷やしておいたのだけど、峠の上は寒かったのでビールの冷たさが逆に辛かった。
下りに入ると未舗装の悪路が始まった。でも景色は本当に素晴らしい。砂漠も山も湖も美しくて、言葉に言い表せない幸せな気分に包まれる。昨日も今日も40kmほどしか走らない楽な日で心の余裕が十分あるので、この素晴らしい景色をさらに心ゆくまで堪能できているのだろう。年末年始だし、こんなゆるい走行も幸せたっぷりで素敵だ。
20kmほど下ってラグーナヴェルデという美しい湖の湖畔に沸く天然温泉スポットに到着。期待の温泉はぬるすぎて残念だったけれど、午後いっぱい湖畔でのんびり休憩し、ビールで再び乾杯し、とっておきのインスタントお汁粉を雑煮代わりに楽しむ。今年も素晴らしい正月を過ごせた。(ひろ)
2012.01.02 Chilean Immigration 88km Camp

ひどい向かい風が吹くはずの場所なのに、今日もどちらかというと追い風。これはお正月のお年玉なのかしら。今日も、昨日とも一昨日ともまた違った美しい景色の中を走る。美しいとか素晴らしいとか凄いとかもう使い飽きたけど、ほかにどう表現したらいいんだか。
そしてとうとう向かい風がやってきた。それにしても本当に突然で、風がいったんぴったり止んで、不気味なくらいシーンとして、1,2分で突風が吹き始めた。まずはすごい横風から始まって徐々に向かい風に変わっていった。ちょうど風が吹き出したところから舗装路工事が始まっていて、向かい風のときは舗装路を走れたのはラッキーだった。今日の目的地まであと15,6kmだしもうすぐ!と思っていたのに、結局そこから2時間もかかった。
今日はチリのイミグレーションオフィスの中で寝かせてもらった。国境の荷物検査場の一角にテントを張らせてもらうなんて、日本では考えられないこと。係員たちも暇そうでみんなプラプラと話しにきたり、備え付けの卓球やテーブルサッカーで遊んだり。ゆるーい国境。(ようこ)
2012.01.03 Copiapo 172km Hotel

今日は600mほどの峠を越えたら、コピアポの街まで約4000m!のダウンヒル。これはひょっとして今日中に街に着けるかも!と早めに起きて出発準備をしていたら、二台とも後輪がパンクしていてさっそくのタイムロス。ううむ、幸先が悪い。今日も絶景続きの登りだったので、二人してはしゃいで写真を撮りまくって、さらにタイムロス。結局峠を登り切ったのは昼ころだった。
後は4000mのダウンヒルだ!と喜び勇んで下り始めたものの、峠の先はものすごい向かい風が吹き荒れていて、ペダルを一生懸命回さないと全然前に進まない。標高はどんどん下がっていくのに、全くダウンヒルをしている実感がないのは精神的ダメージが大きい。せっかくの4000mダウンヒルなのに何で全力でペダルを漕ぎ続けているんだ?
それでも今日中に街に着いちゃうんじゃない!?といったん膨らませた期待はなかなかしぼまない。下り道は高圧電線沿いを道が続いていて景色もいまいちだったことも手伝って、これは意地でも下りきってやると休憩もそこそこに走りまくる。まあ凄い風なので止まっても全然休憩にならないというのもありましたが、とにかく向かい風の中でペダルを漕ぎ続け、日暮れぎりぎりのタイミングでコピアポに無事に到着。
今までの最長記録(150km)を大幅に上回る走行172km、走行時間10時間40分、合計ダウンヒル約4200mという記録尽くめのハチャメチャな一日で、アンデス三昧編を締めくくったのでした。ああやりすぎた。(ひろ)
2012.01.04 Copiapo 0km Hotel

3か月に渡るアンデス越えの日々がやっと終わった!!という喜びと、もうあの神秘的な景色を見ることができないのかという寂しさとか入り混じる。でもとにかく疲れた。しばらく呆けたい。
今日はひさびさのキッコーマン醤油との再会が嬉しくて、無駄に醤油を舐めてみたり。そして豚の生姜焼きを作って涙が出そうだった。う、うまい。アルゼンチンではブエノスアイレス以外では輸入物を手に入れるのは難しいのだけど、チリでは少し大きな町なら醤油やヌテラが手に入るので嬉しい。低地で炊く米、最高。標高が高いところでは米もパスタも生煮えになっちゃうんだもの。しばらくパスタとトマトソースとポテトピューレは見たくない。(ようこ)
2012.01.05 Copiapo – Santiago(BUS) 0km Bus

チェックアウト時間ぎりぎりまで粘って部屋で照り焼きチキン丼を作る。やっぱり日本食最高、醤油最高だ。自炊セットを一式持っているのはこういう時にも役に立つ。水さえあればどこにいたって何でも作れてしまうのだ。
僕らが通ったサンフランシスコ峠は、ダカールラリー(パリ・ダカ)のルートになっており、ラリーの一行は1月6日に峠を越えて7日はコピアポで休憩することになっていた。ダカールラリーに興味のない僕らとしては、一行が到着すれば宿代も跳ね上がるし街はうるさくなるしで大迷惑。さっさと移動するに限ると今日の夜行バスで首都サンティアゴに移動することにした。
チェックアウト後も宿のロビーで夕方までネットサーフィンをさせてもらい、その後バスに乗り込む。心配していた自転車も面倒な交渉なしで適正値段(1台3000ペソ=450円)で積み込むことができた。さすがチリ人、アルゼンチンのグリーディーなバス会社とは対応の誠実さが全然違う。快適なバスに揺られて翌朝定刻通りにサンティアゴ到着。怒涛のアンデス三昧編は無事終了となりました。
後日談ながら、6日にサンフランシスコ峠を通過予定だったダカールラリーの一行は、吹雪で峠が閉鎖されたためレースは一旦中止になり、レースカーは特別搬送車で運ばれたそうだ。僕らもあと数日峠に取り掛かるのが遅れていたら峠が閉ざされていて通れなかったかもしれない。真夏なのに吹雪で閉鎖なんて、さすがアンデス。意外と危機一髪だった。(ひろ)

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