Jun,09,2013

サグラダ・ファミリアは「意外と小さいんだね」というのが私たち4人の共通した感想だった。
サグラダ・ファミリアが見てみたくてバルセロナに来たと言っても過言ではない私は、正直ちょっぴりガッカリした。


失敗だったのは一番先に見てしまったのがガウディが作った側ではなかったことだ。
ガウディの死後に作られた側はやけに新しく、彫刻も現代風で雰囲気が全然違っていて、まるでディズニーランドの建物にしか見えなかった。

反対側のガウディ作の面は彫刻も素晴らしく、石も古くて迫力がある。
それでも意外と小さいという印象は変わらない。
バルセロナという都会だから周りの建物も高くて、でもそれらを遥かに追い越して狭い空を突き抜けるように建っているというイメージがあったものだから、
そもそも周りの建物が10階程度しかなくて思いの外広々とした空が広がっていて、そこにサグラダ・ファミリアが伸びやかに建っていたという事実にギャップを感じてしまった。
がっかりしたのは何も大きさだけではない。
写真で見ても分かるように、新しく作られているところが、あまりに取ってつけたような新しさが目立ってしまってバランスが悪くて見かけも悪い。
「ふーん、ガウディってこんなものなのか」と落胆気味で中に入った。


サグラダ・ファミリアの周りにぐるっと並んで待っている人たちを見て中に入るのをあきらめてしまう人がいるらしいけど、中は絶対に入らないといけない。
しかもネットで事前購入しておけば列に並ばず一瞬で中に入れる。ネットで購入すると1ユーロ高いというのは何とも馬鹿らしいけれども、待ち時間2時間以上という長蛇の列には替えがたい。
訪れる予定の方はぜひネットでチケットを購入がお勧めです。


いろんなところに自然のモチーフが再現されているのが興味深い。

残念な気持ちを引きずったまま、人ごみに押されながらサグラダ・ファミリアの中に入った。
間もなく視界から人々の頭が消えて広い空間が現れた。
最初の印象はいまいちよく覚えてないのだけれども、ぐんと伸びる柱が変わった形をしているなと思った。石で出来ているのに明るくて、柔らかい感じがするのは何でだろうとも思った。
目の前に現れるものをじっくりと見ながらぐるっと一周して、もう一度引いて全体を眺めてみてサグラダ・ファミリアの圧倒的な美しさに感動した。
一歩入ってすぐに衝撃を受けるというよりは、じっくりと回るほどに細部の美しさを感じ、全体の壮大さに心打たれるという内装だった。
少しずつ違う淡い色をした柱の石の色が、ステンドグラスを透した光でさまざまな色に染まっていく。石とは思えない美しい曲線。
森をイメージして造られたというのだけれども、石という硬いイメージが見事に払拭され、優しい森に見えてくるのだから素晴らしい。


一般的にキリスト教会のステンドグラスは威圧的に感じてしまうことが多くあまり好きではないのだけれども、サグラダ・ファミリアのそれは教会内を優しい色で包んでくれる素敵なものだった。
宗教にとって、光とは神々しさを現す大事なメソッドであるのだと思うけれども、その使い方が温かさに満ちていると感じられることは私にとっては少ない。
そんな中でサグラダ・ファミリアと、ルイス・バラガン作のトラルパンの礼拝堂(メキシコ)の光は優しくて好きだ。
こういう優しい光のもとだったら、救いを求めにやってきたいと思ってしまうのかも。


2026年に完成予定のサグラダ・ファミリア、完成したら是非ともまた足を運んでみたいなと思う。
もう少し観光客が少なくて静かなサグラダ・ファミリアが見れたらと思ってしまうけれども、ここが静寂に包まれる日は当分ないのだろう。



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