Jan,25,2013

私にとってコース前半は一人ぼっちで生きる修行だった。
普段はあまり浮き沈みがない私だけど、この10日間は1日のうちに浮き沈みする自分に驚いた。
朝居眠りをすることで落ち込んで、瞑想がうまくいって上がって、そしてまたうまくいかずに落ち込んで、ご飯を一人で食べることにめげて、寒いっていうのにほぼ水シャワーなことにも落ち込む。

浮き沈みというか、瞑想が気持ちよく出来ている時以外は、ほぼ沈んでいたかもしれない。
人生で一番沈んだ10日間で、ある意味新しい自分を発見できた。
と同時に私の浮かれポンチな人生は、家族に友人にそして街で触れ合う人々によって支えてもらっているんだということが痛いほど分かった。
人々からいただく大きな「気」が私を元気にしてくれるんだ。

落ち込みのピークは4日目にやってきた。
4日目、ヴィパサナ瞑想法が始まり、一日に3回は1時間全く姿勢を変えずに瞑想に取り組めというお達しが下った。
体の硬い私は前半の3日間毎日10時間座り続けているお陰で既に足が痛くてたまらない。
もちろん痺れては姿勢を変えてはいるけれど、尾てい骨、股関節、膝が痛くて悲鳴をあげていた。
そこに1時間姿勢を変えるなという新ルールが登場した。

10分ですら同じ姿勢で座っていられないのに、1時間だなんて無理だ。
精一杯頑張ってみたものの、痛みのあまり集中なんて全くできず、ものの20分くらいでモソモソと動くしかなかった。どうやったらバレずに動くことができるかということが4日目の課題になった。
しかしどう頑張っても私の固い体では1時間動かないっていうのは無理なのだ。
痛くて痛くて涙が出る。これは本当の修行だ。お先がすっかり真っ暗で、どん底に落ち込んだ。

優しい色に染まる夕空を眺めながら涙が出てきた。
修行僧のように歩きつづけたトレッキングの後半の日々なんて今思えば修行でもなんでもなかった。石ころゴロゴロの道を押しながら走った自転車の日々なんて屁でもなんでもなかったのだ。
「苦しいね、大変だね。で、街着いたら何食べようか。はぁ、冷たいビールも恋しいね。」と一緒に苦しみを分かち合ってくれるひろが横にいてくれたおかげで苦しみは半分、いやそれ以下で済んでいたんだと改めて気づく。

5日目、あまりの痛さに先生に相談すると、
「出来るだけ姿勢を変えないようトライはしなさい。でも痛みを我慢してまで無理することはありません。」と優しいお言葉をいただいて、世の中には明るい光が差しはじめ、どん底から這い上がることができて、ようやく瞑想に集中できるようになった。

そして激動の瞑想体験が始まった。
一人ぼっちで寂しいのも、瞑想という友達によって救われた。瞑想に気持ち良く没頭しているときは時間もあっという間に過ぎた。
毎日毎時間、少しずつヴィパサナ瞑想を体で理解してきて面白い。
ヴィパサナ瞑想とは何ぞやということを芯から理解できたわけではないのだけれども、この瞑想法を学ぶと人間の体とはすごい能力をもっているのだということを体感できる。

人それぞれ感じ方が違うようだけれども、私の場合は5日目に体の中でまず波動のジェットコースターが始まった。
頭のてっぺんから足の裏まで大きな強い波がまるでジェットコースターのように上から下へ下から上へと行ったり来たりするということが始まった。
熱い波が体を駆け巡り気持ちがものすごく良いのだけど、1時間もこの激しい波が休みなく続いて、すっかりと疲れ果ててしまった驚きの体験だった。
もっとも、このような体験に満足してしまうことはこの瞑想法の目的ではなく、
それどころかヴィパサナ的にはこのような衝撃にも平静に対応していかなくてはならないのだけれども、まずは自分の体の中で起きた現象とは思えない動きに驚かずにはいられなかった。

瞑想終了のベルとともにトイレに駆け込んで鏡をのぞきこんでしまった。
「ああ、私のままだ。」
ホッとしたような、それでいて何か変わっていて欲しかったような。
「ああ、やっぱりおでこに第三の目が付いてた!」とか。
ドラえもんのようにちょっぴり宙に浮いているような気分で瞑想ホールへ戻った。

この波動のジェットコースター体験は、いたずらな魔法使いが「ウェルカムtoマジックワールド!」とプレゼントしてくれたようなもので、それ以後はもう少し地味な、それでいてもっと教えられたとおりの現象が現れてきて、うまくいったりうまくいかなかったり一喜一憂しながらも瞑想に没頭できる日々が始まった。

この瞑想生活が終わった後にひろや周りの人々に聞いてみると、みんな瞑想しながらも空想や妄想に没頭していたらしいけど、私は驚くほど忠実に、瞑想か居眠りにしか没頭しなかった。
もともと不器用で二つのことを同時にできないということもあるけれど、
自分の頭の固さ、そして自分が変に生真面目なのだということを再確認した。
「10日間という短い時間を有意義に瞑想に集中しましょう」という指導者の言葉を必死に守らなくちゃと懸命だった。
私は意外と「宗教」にすっかりとどっぷりとハマっちゃったりするのかもしれないと
ちょっと怖くなった。
自分だけはそんなことはないとずっと思っていたのに。

一生懸命どっぷりとハマったお陰で、短い10日間でも思わぬような体験の連続だった。
どんな体験だったかと書くと頭がおかしくなったのではと思われるかもしれないので書き控えるけど、
一言でいえば自分がCTスキャンマシーンになって、そしてそのマシーンからもう一人の自分の内部を全部見た、検査した。そして治療した。とでも言おうか。
やっぱり頭おかしいでしょ。

さて、瞑想生活が終わってからだいぶ経つけど、あれから一度も瞑想はしていない。
毎日朝夕1時間ずつ瞑想を続けていきましょうとセンターでは言われたけれども、あんなに真面目な生徒だった私も下界に降りてきたらすっかりと不真面目になってしまった。
日々の生活で瞑想をしようかなと思うことがこの先あるような気はしないのだけれども、
5年に一度くらいはこういう10日間があったらいいのかなと思う。
そして意思の弱い私は、軽く軟禁された状態で、瞑想するしか仕方がない状況に置いてくれるこのようなコースを受けるという手段が最善なんだろう。
コース前半では全く理解ができなかった2度目以上のコース受講者の気持ちがやっと少し分かってきた気がする。
今度はちょっと不真面目に、集中力を発揮しながら空想とか妄想とかもしてみたいな。


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