Jan,22,2013

ネパールで10日間のヴィパサナ瞑想コースを取るということは、半年以上も前から決めていたことだった。
ひろは10年前にもこのヴィパサナ瞑想コースを受けていて(しかも今回と同じカトマンドゥで!)、ひろからこのコースのことはちょこちょこ聞いていたので、自分なりに瞑想とはなんぞやと理解しているつもりで「瞑想の仕方を学ぶんだ。」と意気込んでいた。
「瞑想、瞑想♪」と遠足気分で瞑想コースに乗り込んだ。

カトマンドゥの端っこ、静かな山際にあるヴィパサナ瞑想センターに11日間収容され、その間敷地内から出ることはできない。
しかもパスポートや貴重品類は全て預けるので、ある意味で軟禁に近い。
宗教ではないと聞いていたものの、節々で宗教団体のような雰囲気を感じずにはいられなくて、
もしひろが10年前に同じ場所でこのコースを受けていなかったら、ひょっとしたら洗脳されてこのまま敷地から出て来れないんじゃないかと、心配性の私はちょっぴり怖い気持ちになっていただろう。

ヴィパサナ(Vipassana)は世界的に有名な瞑想法で、京都や千葉にも瞑想センターがあるので知っている人も多いかもしれない。
詳しい説明は難しいのでウィキペディア辺りに説明を託すとして、
最初の3日半は自分の呼吸を観察して集中力を高める能力をつけ、後半の6日半日間はヴィパサナ瞑想法を学び実践する。
そして朝4時(!)から夜9時30分までの間、1日10時間×10日間という途方もない時間ひたすら瞑想をし続けるハードな瞑想コースだ。
しかもその間、一切のおしゃべりもだめ、ジェスチャーもだめ、目で会話してもだめ、、読み書きもだめ、という完全な沈黙を守り続けないといけない。
つまり瞑想時間以外も、睡眠中以外は真摯に自分と向き合いつづけなくてはならないのだ。

初めは人と挨拶すらできないことが辛かった。
大部屋での共同生活。すぐ隣に人が寝ているっていうのに「おやすみ」も「おはよう」も言えない。
喋ってはいけないのに、周りの人々とは触れ合い続けている。それなのに「ありがとう」や「すみません」も言えない。
言えないのならせめてニッコリ笑って目を合わせたいのに、それどころか人と目が合わないように常にうつむき加減で下を向いていなければならないのも辛い。

朝が早いのも辛い。
4時起床で4時半から6時半まで、朝食も飲み物も無しでいきなり瞑想タイムがある。
気温が5度前後という寒さと強烈な眠さの中で、目をつむっての瞑想タイムは間違いなく眠りに落ちる。
夕食は出ないので(夕方に軽いスナックが出るだけ)空腹で体は芯から冷えていて、
ダウンジャケットを二枚重ねにしても、体に寝袋を巻きつけていても、ぶるると寒くて仕方がない。
寒さに耐えきれず、眠さに耐えきれず、力尽きてコックリコックリと眠りに落ちているのに気づいては、またやっちゃったと落ち込む。
コースが終わった後に周りに聞いてみたら、みんな朝はほとんど居眠りしていたと聞いてホッとしたけれど、真面目に瞑想に取り組もうと意気込んでいただけに、毎朝この時間は居眠りしてしまってほとんど集中できない自分に、最初の数日間はひどくがっかりもしたし、落ち込んだ。

ご飯はもっと辛い。
壁に向かって一人で黙々と食べるご飯はエサ以外の何物でもない。
出してもらうご飯は思いのほか美味しく、ボリュームもあった。一日2食+夕方スナックというメニューは、大食漢の私にとって一番の不安だったといっても過言じゃなかったのだけれども、
お代わり自由だったにも関わらず奇跡的にお代わりすらせずに済んだ。
それもこれも一人で寂しく食べるご飯の寂しさに胃のすっかりションボリしてしまったからなのかもしれない。

最初の数日間は一日が長くて仕方が無かった。
一日10時間も集中力が持つわけがないと、諦め切ってメリハリをつけて瞑想に望めばよかったのだろうと今になってみれば思うのだけれども、
何せ真面目に10時間ばっちり集中し続けなくちゃと気合を入れすぎていたので、
素直に集中できれば喜び、散漫に終われば落ち込みと、とにかく毎時間消耗し続けた。
そしてその長い一日がやっと終わるとき、指を折々「あと9日」「あと8日」と数えては気が遠くなった。

(次回に続く)


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