Nov,09,2012

ついに北インド・チベット圏の旅が終わった。
まだまだインドの旅は続くけれど、ここから先はヒンドゥ圏。
「インド」と聞いて人が想像するような「インドの世界」に入っていくことになる。

何も知らず、ただ風景に憧れてやってきた北インドのチベット圏だけど、
こんなにも素敵な人々や文化との出会いがあるとは思ってもいなかった。

日本人にとてもよく似た顔立ちのラダック人やチベット難民といったチベット系の人たち。。
シャイだけどとても元気で、「ジュレー」、「タシデレ」とこちらが手を振りながら挨拶すると、
少し照れながら、でも大きな甲高い声で、「ジュレー」「タシデレー」と手を振り返しながらにこやかに挨拶を返してくれる。
村人に「チャイ飲んでいくか?」と家に招かれたり、「家に泊まっていきなさい」と誘ってもらったり、食事に呼んでもらったり、結婚式に参加させてもらったりと、本当に数多くの親切を受けた。
なにも僕らが珍しい外国人だから親切にしてくれるというだけじゃなく、現地人の旅人や巡礼者が一泊させて欲しいと突然訪ねてきても素直に泊めさせてあげる風潮があるそうだ。
驚くべき、素晴らしい風土だと思う。

10年前にチベット本土を自転車で旅した時、正直チベット人の印象は良くなかった。
子供たちは本気で石を投げてくるし、村の雰囲気はラフで居心地が良くなかった。最初の頃は村で休憩していたのだけど、そのうち村を通り過ぎてから休憩するようになったものだ。
もちろん、メチャクチャな装備で自転車旅をしていた僕たちに、人々との出会いを楽しむ心の余裕が無かったというのもあるけど(もしくは中国人と間違えられて敵視されていたのかもしれない)、道班(中国人道路ワーカーの簡易キャンプ)に立ち寄るたびに中国人に優しくしてもらってホッとしたものだ。

今回チベット文化圏を走って、人々の優しさや穏やかさに感激し、10年前の記憶とのギャップに最初は戸惑ったけれど、
2か月ほどチベット圏を旅しているうちに、きっと北インドのチベット圏で接した人々の優しさ、穏やかさ、明るさが、本来のチベット人(ラダック人もチベット難民も含めて)の気性に違いない、そう素直にそう信じられるようになった。

そして素晴らしいチベット仏教の文化。
宗教美術に全く知識のない僕らですら圧倒される鮮やかな壁画の数々、存在するだけで神聖なオーラを醸し出しているゴンパ(寺)、優しく穏やかな顔をした親切な僧侶たち。
中国に破壊されてしまったチベット本土と違い、北インドには数百年、時には千年近くも前の仏教美術が残されている。

自然の力強さ、素晴らしさは言うに及ばない。物価の安さも手伝って気軽にトレッキングなどのアウトドアを楽しめる環境も整っている。
それに加えて人の温かさ、文化の深さ。
北インドのチベット圏に何度も繰り返し訪れるリピーター旅行者が多いのもうなずける。

抑圧激しいチベット本土と違い、こちらではTシャツ、土産物から落書きに至るまで、「FREE TIBET」のロゴが市民権を獲得している。
その過剰気味ともいえる氾濫ぶりに、若干言葉の重みを感じられなくなってきた頃、
あるチベット人の若者から、
大切なのは「FREE TIBET」ではなく「KEEP TIBET」なのだと聞かされた。

カルマ(業)とかリインカネーション(輪廻転生)といった仏教用語も登場したのだけど僕には正確に伝えきれないので概略だけにしておくと、
もし自分たちの世代でチベットを取り返せなくても、何十年、何百年、何世代、何十世代か後には、いつかチベット人がチベットを取り戻す時がやってくる。
その時のために、チベットの心を、文化を、次世代にしっかり伝えて続けていくことが今のチベットにとって一番大切なことなのだ、という内容だった。

チベット文化の途方もなく広い世界観の一端を垣間見たような気がして強く心に残っている。
そしてその言葉が空疎なものとしてではなく、ずしり重みを持って心に入ってきたのは、きっとチベット難民村でチベット亡命政府の子供の教育に対する真摯な姿勢を見せてもらったからなのだろう。

今の指導者ダライラマ14世がいつか現世を去った後、チベット人にとってより困難な時代が来るのかもしれない。でもどんな状況下でも、この素晴らしいチベットのハートを、文化を、しっかりと次世代に伝え続けて欲しい、そう切に願う。

北インド・チベット圏。地球上にまたひとつ忘れられない大好きな場所が増えた。


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