Sep,09,2012

最初は怒りを感じ、そして悲しくなり、最後には気分が悪くなってきた。

パドゥン近郊のサニという村のゴンパ(お寺)へ毎年恒例の祭りを見に行った。
祭りといっても祈りの儀式である。
祭りの冒頭、お寺の中で厳かに祈りをささげる僧侶たち。
そして間もなく現れた、それを冒涜する観光客の群れ。

楽器を吹く僧侶の鼻先数センチまで無言でレンズを近づけて写真を取る者。一人の僧侶を4人ぐらいで取り囲んでいた。もちろん僧侶には何一つ声をかけずにだ。
右回りというチベット仏教の基本的な礼儀(コルラ)を無視して、縦横無尽に室内を動き回る者。右回りに回る村人たちとぶつかっても知らんぷりだ。
五体投地しながら入ってくる人の写真を取ろうと入口のど真ん中で片膝をついて待ち構える者。村人たちが怯んで入ってこれないのに気が付いているんだろうか。
皆が祈りを捧げてる仏像の目の前で、仏像に尻を向けて座っている者。村人が仏像に祈りを捧げるたびに、「見ろよ、俺に向かって祈っているぜ」ってにやにや笑っていた。

境内でも同じ光景が広がっていた。
正装した村人たちに、挨拶一つすることなく、笑顔も見せることなく、すたすたと近づいてはおもむろにレンズを向ける観光客の群れ。

特に撮影禁止じゃないし写真を撮るのはかまわない。
僕も興味本位で祭りを見に来た一観光客だし、同じ穴のむじなだと言われれば反論の余地はない。
でもこれではあまりに失礼だ。いや失礼とか無礼という言葉では済まされない、もはや暴力だ。
彼らからは、この祭りに対して、僧侶に対して、村人に対して、チベット仏教に対して、敬意の欠片すらみることができない。

自分の国に帰ったら同じことができるんだろうか。
教会のミサの最中にキリスト像に背を向けて腰掛け、説教中の神父に無言で近づいてパシャパシャと写真を撮ったりするんだろうか。
公園のベンチで休憩しているおばあちゃんに無言で近づいて、数十センチの至近距離でおもむろにレンズを向けたりするんだろうか。
絶対にそんなことはしないはずだ。
そう思うと、口先では「チベット仏教はファンタスティックだ。アジアの人たちは素晴らしい。」とか何とか言いながら、実のところは完全に見下しているんじゃないのかと疑いたくなる。

僕たちもここ最近、車の中からスーッと窓ガラスを開けて無言のまま僕らの写真や動画を取り、そのまま何も言わずに立ち去っていく失礼な観光客に数多く出くわしていたので、少しイライラしていた。
僕らは動物じゃない。たった一言でも挨拶をくれて「写真とってもいい?」とゼスチャーを送ってくれればいいだけなのに。

きっとザンスカールの人たちだってそうだ。
穏やかな彼らのことだから、たった一言「写真とってもいい?」と聞いたら、ほとんどの人が素敵な笑顔を見せてくれるはずなのに。

いたたまれなくなって、一人のおばちゃんに「せめて許可取ってから写真撮れよ。相手は動物じゃなくて人間だぞ。失礼だと思わないのか?」と文句を言ったら、
「は?何が悪いのよ。あんた何様?何がしたいの?」と逆に切れられた。
このおばちゃんに無言で近づいてドアップ写真をパシャパシャ取ってやろうかと一瞬思ったけど、もう何だか気分が悪くて、これ以上かかわる気にもならなくなってしまった。

ザンスカールに来る前に、ダーという村に寄った。
花を頭などに飾ることで有名な「花の民」と呼ばれるドクパ族の村だ。
その村で、ようこが花を飾ったおばあちゃんにお呼ばれされて一緒に歌を歌って過ごしていたら、
孫と思われる子供が「ちょっと、この人に写真取られてない?」と血相を変えてすっ飛んできた。
ようこが写真を取っていないことを知ると、ようやくその孫はほっとしたような穏やかな表情になって、ようこに挨拶を返してくれたそうだ。
きっと毎日観光客が来ては、毎日おばあちゃんに無神経なカメラを向けていくに違いない。
自分の大好きなおばあちゃんが、そうやって見世物か動物のような扱いをされるのを見続けてきた孫の気持ち、痛いほどよく分かる。

「ひどい話だなあ」と思ったあなたへ。
そして自分自身への戒めも込めて。
あなたも同じことをしていませんか?

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