Aug,22,2012

夜12時、日付が変わり、ようこが晴れて35歳の誕生日を迎えたその瞬間から、僕の高山病体験は始まった。

レーは標高3500mの高地。空港で自転車を組み立てるだけでも息が荒れてしょうがない。
しかも空港から街までは地味な登り坂が続いていて、距離は短いけどなかなかハードな道のりだった。
宿に落ち着き、ご飯を食べたころから少し頭が痛いなーと思っていたけど、いきなり高地に飛んできたのだからこんなもんだろうと、とにかく水をたらふく飲んであまり歩きまわらないことを心掛けた。

でも恐るべき高山病、4,5000mの高地で何か月も自転車を漕いだことがあるなんて事は全くお構いなしに、かかる時はかかってしまうものなのだ。
そして迎えた2日目の夜。カチ割れそうな頭痛と嘔吐と下痢で体はヘロヘロになり、バースデーガールのようこに翌朝から病院へ連れて行ってもらう事になってしまった。


レーの街に入るとタルチョ(祈りの旗)が街中にはためいていた。ウォーとテンションが上がる瞬間

緊急受付から院内に入ると、いきなりベッドの上でウォーウォーと唸っているおじさんがいた。
診察室に通されて一通り診断を受け、「高山病だから酸素をしばらく吸ってなさい」と軽いタッチで診断され、そして通された部屋はさっきのウォーウォーおじさんがいる部屋だった。
足の裏のすっぱい臭いにおいと体臭が鼻につく。
足元をみると、消毒用の綿や飴の袋やプラスチックの容器、挙句の果てには使用済みの注射針までがコロコロと転がっている。
「うわー、凄いところに来ちゃったな」と思ったけど、ここがレーで一番の大病院なのだからしょうがない。
その日は結局2時間ほど酸素をもらい、症状が少し安定したのをみてホテルに返された。

その日の日中は体調も良く、「とんだ誕生日になってごめんね、明日には誕生日ディナーにでも行こうか」なんてフォローする余裕もあったのだけど、その夜から再び割れるような頭痛と吐き気が始まった。
翌朝に再び病院へ行くと、晴れて即入院となった。


酸素につながれ、哀れな姿に

入院、、、、
そう、入院である。
体が丈夫なのが自慢だった僕にとって、初めての体験だ。
しかもそれがインドの片田舎。まさかこんなところで初体験とは夢にも思わなかった。
一応ツーリスト用病棟に通されたのだけど、さすがに酸素が足りなくて紫色の顔をした僕ですら、「え、ここかよ・・・」と思わず躊躇するハードコアな部屋だった。
これがホテルだったら、きっと丁重に断って別のホテルを探しているに違いない。

でもまあチョイスは他にない。
64%と緊急の数値をたたき出している僕の酸素濃度をあげるべく、兎にも角にも酸素が欲しいのだけど、どうやら酸素ボンベがどれも空のようで、看護婦さんたちがウロウロと探し回っている。
やっと見つけ出してきた酸素ボンベは、どうやら上手いことバルブを開けられないようで、ハンマーを取りだして、僕の真横でカンカンカンカンとド派手な音を立てて打ちまくる。
あのー、僕は頭が割れるように痛いんですけど・・・

そのうちどこからか男性を連れてきて力ずくでバルブをこじ開け、とうとう酸素が出てきた。
酸素を吸って一安心して、ほーっとした瞬間、
「バーン」という爆発音が部屋中に鳴り響き、僕の酸素ボンベについていたプラスティック容器が破裂して僕の顔に破片がバチバチとあたる。
「えへへへ、ノープロブレムノープロブレム」って看護婦は笑うけど、
いやまじで、笑えないって。ガラスだったら今頃僕の顔は血まみれですよ。


病院の敷地内の風景。ベッドが野外に無造作に積み重なっているのもどうかと思う。

結局丸2日間入院をして、無事に退院することができた。
無事に回復したからこそ笑えるけれども、インドの入院体験はなかなかのものだった。

看護婦さんはみんなすごく優しくて、そしてお茶目だった。
どれくらいお茶目かというと、他の人のカルテを見ながら僕に注射を打とうとするくらいだ。
注射を打つ寸前に他の看護婦さんに電話して、「この注射ってどこに打つの?腕?お尻?」と聞いていたくらいだ。
だから毎回患者の僕が自分のカルテかどうかを確認し、なんのための注射かを確認し、今日はどの注射を打たれたかを覚えていないといけない。
酸素が足りない頭痛持ちにはかなりハードな作業だ。

しかも注射の腕前はなかなか素人だ。
一応注射する前に針を刺す場所を拭くのだけど、アルコールの付いていない乾いた綿でいくら拭いてもけっして消毒にはならないと思う。
そして血管に注射針を差した後は、「チッチッ」と舌打ちしながら何度も何度も刺しなおすので、注射の旅に青あざが増えていく。
注射針は毎回新品を開封しているのを確認できたのがせめてもの救いだ。


もうすぐ退院。なんだかんだでお世話になりました。

僕の代わりに受付を済ませてくれたようこが、呆れた顔をして帰ってきた。
受付風の部屋には患者なのか、患者の付き添いなのか、はたまた他の看護婦なのか、誰が誰だか全然わからない人たちが何人もプラプラしていて、
テーブルの上は何十種類の薬が雑然と転がり、誰のカルテだか分からない紙きれが無数に散らばっている。
下を見ると血の付いた注射針がむき出しにミカン箱のような箱の中に積んであったそうだ。
看護婦さんは誰も手袋していないけど、二次感染しないんだろうか。

他にも掃除のおばちゃんが入ってきて僕の目の前でものすごい埃をまきあげながら掃除を始めたり、
他の入院患者の家族が病室で普通に料理をはじめたり、
看護婦さんの親族だか子供だかが普通に看護婦のように病室に出入りしてきたり(でも彼女が一番英語が上手くて助かった)、
レントゲン室が開けっ放しで、いろんな人が普通にいるままでレントゲンとぱちりと取られたりと、
なかなか他の国ではできない貴重な体験だった。
首都デリーでは最新治療を受けれる立派な病院が沢山あると聞くけど、まだ田舎はまだこんなものなのだ。

まあ色々あったけど、一日200ルピー(300円)で入院させてもらい、
しっかり酸素をくれて、色々注射を打たれて、すっかり元気になって病院を出ることができた。
最悪はデリーに舞い戻らないといけないかなと思っていただけに、このままラダック地方を旅できることができそうで、本当にうれしい。ありがたい話だ。

そしてようこは誕生日そっちのけで、薬を買いにいったりご飯を届けてくれたりと、一生懸命看病してくれた。
こういう時は、本当に相方の存在がありがたい。
体調が回復した今、改めて盛大にバースデーパーティをしたいところなんだけど、ここはインドの片田舎、日本に帰る日までツケておいてもらうしかないのが心苦しい。

退院後は体力を回復させることに専念し、結局レーには合計10日間、特に何をすることもなくのんびりと過ごした。
でもこれもいい気分転換だ。体調も回復し、高地順応もすみ、
いよいよ遅ればせながらラダック旅の始まりだ。

皆さんも高山病には気をつけましょうね。


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