夜中の一時に目が覚めた。
水を飲んで、また寝ようと思ったそのとき
車が止まってドアが開いた音がした。
車の中の音楽がズドンズドンと響く。
砂漠のど真ん中の道路のすぐ横にテントを張った。
今日もよく自転車を押した日だった。
深い砂で、平坦な道でも3×9のギアを一番軽くしているのに重く感じるほど悪い道だった。16時に村に着いて、そこで泊まってもよかったのだけれども、あともう2時間分、恐らく15kmもこげないだろうけどそれでもいいから少しでも前に進んでおきたい気持ちが大きかった。
明日は大きめな村に到着する日で、1週間ぶりに休憩日を設けようと思っている。
すっかり体も心も疲れ気味で、二人ともこの大きな村が楽しみでしかたなかった。
その村へ一歩でも近づきたかったのかもしれない。
とぼとぼと漕ぎ出したものの、相変わらずの悪路でなかなか前に進めない。
結局10kmも進まないうちにタイムアウトの18時になってしまった。
分かっていたことだけれども、たいしたテント場もない。
風除けになるような岩や小山があるどころか、道路から隠れられるようなところもない。
風よけはなんとしてでも欲しかったけれども、今回は道路から隠れることはあまり気にしていなかった。ここ3,4日は一日4,5台の車しか見かけなかったし、夕方以降は車を全く見ていない。
さっきの村を過ぎてからの10km、何台か車が通ったのは少し驚きでもあったけれども、きっともうじき通らなくなるだろう、そう思った。
道路のすぐ横だったけれども、人口的に深く掘られた土地があって、風除けにもなるし道路からも気をつければ見える程度で丸見えというわけではない、今考えられる最適なスポットを発見して今日の走行を終えた。
食事を用意している間も何台か車が通ったけれども、私たちに気づくこともなく通り過ぎていった。
クッタクタだった私たちは日が暮れる前には夢の世界だった。
そして次に目が覚めたのが、1時。
風もやんで、「しーん」とした真夜中の砂漠に車が走る音が響く。
こんな真っ暗な中、未舗装路を走るのは大変だろうなぁと思いながらまた寝ようと思ったそのとき、
車が停まった。
心臓がバクっとした。
ドアが開いて中の音楽が漏れてくる。
心臓がバクバクした。
二人して呼吸の音すらさせないように息を凝らして耳を澄ました。
「こんな何にもない砂漠のど真ん中で、こんな時間に何故停まる?」
車とテントの距離がどれくらいあるのか分からない。
近く感じるけれども、すぐ目の前ってことはなさそうだ。
1,2分して再びドアが閉まって車が行く音がした。
すっかりホッとしたひろはあっという間に眠りに戻ってしまった。
耳を澄まし続けた私は車がそう遠くないところで再び停まったのを感じた。
小さいながら音楽が響く。どのくらい離れたところにいるのか分からないけれども、いったい何をしているんだろう。時折音楽が僅かに大きく響いて、ドアが開いて人が話している声もする。
私たちのテントを偶然発見して、仲間を呼んで襲おうとしているのではないだろうかと、
悪いことばかりを考えてしまう。
心臓がバクバクして呼吸が乱れる。
標高4100mで呼吸が乱れると結構大変で、吸って吐いてとゆっくり落ち着いて呼吸をしようと試みるものの、気が動転していてなかなか戻らない。
呼吸を元に戻そうとする傍ら、耳を研ぎ澄まして遠くの小さな音の変化にも敏感にならなくてはならない。そうこうしている間にも何台か車が通り過ぎた。
驚くことに1時間に2台ほどの車が通る。次の大きめの村までは約60km。その間もちろん電灯なんてないし、未舗装路だし峠もある。
若者たちが夜遊びに行って帰ってくる時間なのだろうか。
車の音がする度に「お願いだからここで停まらないで」と祈る。
3時間くらい緊張しつづけていたら、いつの間にかに例の車からの音楽が聞こえなくなった。
3時間何もなかったのだから、あの車が何かをしてくることはないだろうと思い緊張も緩んできた。
それでもすっかりと目が冴えてしまって寝付けない。
緊張が緩んできたら自分の情けなさに悲しくなってきた。
なんで私はこんなに怖がりなんだろう。
結局世の中が明るくなってきたことにホッとして、眠りにつけたのは朝6時だった。
ボリビア、チリ、アルゼンチンと人がほとんど住んでいないエリアを走りつづけてきて、最近やっと野宿に慣れてきたところだったのに、また振り出しに戻ってしまった。
翌日睡眠不足でフラフラになりながら砂道をこぐ。
涙がポツリとこぼれる。
怖かったからじゃない、眠れなかったからじゃない、砂道が辛いからじゃない。
悔しくて仕方がなかった。
もっと強くなりたいと思う。
でもどうやって?