Jul,19,2011

ベルリンでは、パタゴニアで一緒に走ったハートムットが僕らを出迎えてくれた。
1か月以上も一緒に走って勝手知ったる仲なので、妙な遠慮をしなくていい。
早速みんなで料理を作り、ビールをたらふく飲み、まるで自宅で寛いでいる気分。

チャリダーが3人揃ったのだから、もちろん観光もマイ自転車で。
広くてフラットなベルリンでは、自転車で回るのが一番ハンディでいい。
ベルリンといえば、自転車道がきちん整備されていることで有名だ。
自転車道は意外と雑然としていて、コペンハーゲンの方が秩序正しい感じもしたけど、
それでも自転車道がきちんと色分けされているし、逆走はご法度で、自転車用信号や標識も充実しているので、とても走りやすい。
車・自転車・歩行者の誰にも優しい感じがする自転車専用道路は、やっぱりいい。
でも狭い日本の道路では、どう頑張ってもこの快適さは再現できないのだろうと思う。


かくかくきっちりしていて、いかにもドイツっぽい街並み

ベルリンはヨーロッパの中では比較的新しい街で、中世っぽさが残っていたり、メルヘンな建物が建っていたりする街ではない。
むしろ建物は無骨でそっけなく、いかにもドイツらしくカクカクとした感じだった。
壁崩壊後に再開発された地区も、微妙なシェイプのビルが節操なく乱立していて、アジアの都会みたいに下世話な感じだった。
美術館は充実しているけど、街中のグラフィティアートもあまり好みではない。
そんな右脳にはあまり響かない街並みも、左脳にとっては刺激的だ。
ベルリンを回っていると、この街にぎっしりと詰まった現代史が街のあちこちに見え隠れする。


あのベルリンの壁も今では平和な観光地になっている。

ベルリンには、壁崩壊の前後で全く違う姿になった場所が多い。
国会議事堂の立派な建物は、壁崩壊前は全く利用されていなかったとか、
街中にポツンとある広大な公園は、旧西ベルリンと旧西ドイツをつなぐ鉄道駅だったとか、
帝政時代の中心地だったポツダム広場は、冷戦時代は壁が貫いていて何もない場所だったとか、
こっちの広場は旧西側の中心で、あっちの広場は旧東側の中心で、とか、
この美術館は旧東側に古い美術館が取り込まれたから旧西側が新設したものだとか、
とにかく崩壊前と後、旧西側と旧東側といった説明が必要な場所ばかりだ。


パタゴニアで一緒だったハートムットが街中を案内してくれた。ベルリンの壁はグラフィティアートのギャラリーになっている。クオリティは正直いってかなり低い。

そして何も知らずに歩いていると、そんなことが全く感じられないのもベルリンの特徴かもしれない。
実際、ベルリンの壁があった場所は、一部残骸が残っているところを除けば、教えてもらわないとそれと分からないくらいだ。
でも壁崩壊前から住んでいるハートムットの話を聞いていると、つい最近まで全く違う雰囲気の街だったことを思い知らされる。
壁が崩壊した89年は、僕らは意味がまったくわからない子供だったけど、それでもTVで見たニュースのことははっきり覚えている。わずか20数年前には、この街は別世界だったのだ。
一見何もない場所で自転車を止め、壁崩壊前はこんな場所だったんだよと、事あるごとに教えてくれたハートムットのお陰で、この街のイメージがどんどん膨らんでくる。
例えば街の中心には広大な空き地がある。
帝国時代には王のパレスがあり、冷戦時代に旧ソ連に取り壊し、旧ソ連風の建物が再建築されて議会などとして利用され、それも冷戦後に取り壊され、すったもんだの議論の上で近年ようやく再開発の目処がついたものの、リーマンショックの影響で再開発工事は一向に進んでいないそうだ。
街の中心にある不自然な空き地は、現代史がぎっしり詰まっていた。


ベルリン名物、カレーソーセージ。たっぷりケチャップとカレー粉をかけたソーセージがうまい!

そんな重くて深い現代史を抱えたベルリンだけど、重苦しさや暗さを感じることはない。
むしろそんな歴史を受け止めつつ、前を向いて歩いて行こうとしている。
ベルリンは、そんな好印象の街だ。


かつて壁があった場所。説明されないとそれと分からない。


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