Jun,06,2010

私はどちらかというとキリスト教の教会は苦手で、ヨーロッパへ行っても南米でもあんまり教会に興味を持てないでいた。
それでも自分が無宗教だからか、「宗教」というものが頭では理解できてもなかなか本当のところが理解できなくて、どうしたらそこまで信仰ができるのか、信仰心というものはどういうものなのか、宗教の場にはとても興味があって、地元の人々の信仰の場には必ず足を運ぶ。
今回も大きいもの小さいもの、沢山の教会を訪れた。
教会そのものにはあまり感動は出来なかったのだけど、教会という場所があるというのはとてもいいなと思った。

私たちが教会を訪れるのはだいたい平日の昼間。
いつも教会には2,3人がポツポツっと座っているだけのことが多かった。
ぼーっと考えごことをしている人、神と対話している人、ただひたすら祈っている人。
色々な人がいたけれど、誰もに共通していることはその場で心を落ち着かせていること。
人間誰しも大なり小なりいろんな悩み、悲しみを抱えていると思うけど、
それを上手く消化する場を探すのはなかなか日常の場では難しい。
部屋で考えていたらどんどん悶々としそうだし、
かといってカフェなどの外で考えられることでもない。
公園や海岸、山や川岸などの自然の中もいいけど、
頻繁に通えるようなところにいい場所がある人はそんなに多くはないと思う。
なんとなく日常の忙しさをいいわけにして、小さなこころの問題を後回しにしてしまうことも増えてしまう気がする。

その点、教会はどんな村にでもある。
ちょっと通勤前にとか昼ごはんどきにとか、ふらっと立ち寄れる静かな心を落ち着かせられる場所。
キリスト教徒でない私ですら、イスにゆったりと腰かけてすーっと深呼吸して、
目の前に掲げられたイエス像やマリア像に話しかけたい気分になる。
「ねえ、ちょっと聞いてくださいよ。」って。
そうやって伝えようとすることで、頭の中が整理されて少しすっきりしたり消化されたりする気がする。
そして少し暗い教会から明るい外に出ると、新しい扉を開けた気分になる。
気を遣うことなく気軽に行けるそういう場所が身近にあるっていいな。


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