
ケニア山より高いところを自転車で走ったこともあったし、
トレッキングしたことだってあった。
登山客の中では私たちはまだまだ若くて体力もあるほうだと、
どこか高をくくっていたところがあったのかもしれなかった。
山登りは楽しいだけじゃない、
分かっていたつもりだったけど、それを痛感させられたいい体験だった。
無事帰ってこれたことを心から嬉しく思うとともに、
通る予定だったチョゴリアルートを歩けなかった無念さもちょっぴり残る。
ケニア山登頂も楽しみだったけど、密かに一番楽しみだったのは
どのルートよりも自然が美しいと評判の、チョゴリアルートを歩く4日目だったから。
2日目に歩いたシプトンズキャンプへ向かう道(シリモンルート)の、トロピカルな植物や色とりどりの鳥たちと、生き物を寄せつけないような荒々しいピークとのギャップを楽しみながらのルートはとっても美しくて、このルートよりも素晴らしいチョゴリアルートっていったいどれだけ凄いんだろうと、期待が益々膨らんでいた。
チョゴリアルートを歩けなかったのは残念だったけど、
シリモンルートも本当に素敵だった。
赤道直下にあるケニア山は、標高が高いのにトロピカルな植物に囲まれていて、
なんとも不思議な感じがした。
アンデスの山とも、ヒマラヤの山とも、カナダの山とも、北海道の山ともまた違った。
同じ日本の山でも山ごとに雰囲気は変わるのだから、当たり前といえば当たり前のことだけど、
遠目に見るとどれも形こそ違え”山”なのに、一歩山の中に入ると空気も植物も肌にまとわりつく感覚も匂いも違うということに毎度驚かされる。
高山特有のパキっとした空気や肌がジリジリと焼ける感覚は一緒だったけど、
ケニア山はどこか空気が南国風で、照りつける日差しが陽気な感じだった。

1日目は足慣らし程度に標高3300mにあるハットまで2、3時間林道を歩く。
スタート地点は2600m近くもあるのに、汗をかくような陽気で、
これぞアフリカの大地というような赤土の道で、森の木々も暑さに任せてグングンと伸びてます!という勢いに溢れていて、なんだか高山に来ている気分はゼロ。
遥か遠くにちょこっと、涼しげな雪をのせた山頂が顔を覗かせていて、
そうそう、私たち山登りに来たんだって思いだすことができた。
さすがは3300m、晩になるとぐんと寒くなって、持ってる防寒着を全て着こんで
星空ウォッチング。
高山で見る星ってなんでこんなに迫力があるんだろう。
日本の山で見る星もうっとりするくらい綺麗なときもある。
でも、そういう星空とはちょっと違う、
星空と自分との間に通常はある何かを突然省かれて、
ドーンと目の前に出された感じの迫力がそこにはある。
ヒマラヤ以来のど迫力の星空に感動するとともに、
ずっと楽しみにしていたケニア山トレッキングに来てるんだという実感がじわじわと
やってきて、にやけながら床に就いた。

Everlasting flowerという種類の花。何故こんな名前なのかというと花びらが既にドライフラワーのようになっていて、枯れても枯れない(?!)不思議な花。
2日目、視線の高さの植物を楽しみながらのトレッキング。
この日は花が気になった。どれも見たことあるような形の、見たことあるような
色の小さな花なのにやけに気になる。
北海道の山も色々な花が咲く。それを目的に山に登る人もいるほどだけど、
私はそれほどは興味がなかった。咲いていれば綺麗だなぁとは思ったけれど、
わざわざ花が咲く時期を見計らって山に行こうと思ったことはなかった。
それなのに今は咲いている花や草が今まで以上に愛おしい。
何故だろうって考えた。
きっと砂漠地域を走りつづけて、
植物のありがたさを今まで以上に感じているからなのだと思う。

トロピカルムード満点の植物たち
ちょうど視線の高さに咲く草花ひとつひとつが目にしっかり飛び込んできて、
手にとって感触を確かめたり、香りをかいでみたり、その植物の存在に心が華やいだりした。
山の植物をこんなにもじっくり鑑賞しながら歩いたのは初めてかもしれない。
草花にうっとりしながら歩いていたら、
スタート時には遠くかなたに見えた山頂が手が届きそうなところに現れた。
あまりにも小さな草花の存在が楽しかったから、大きな山に登りに来たことをすっかり忘れていたけど、
輝く小さな草花も、雪をちょこんとのっけた険しくてかっこいい山頂には到底敵わなかった。
すっかりひろも私も山頂に心奪われた。
「うわー、かっこいい!!」

かっこいいでしょ!ケニア山。
3日目、真っ暗な夜中に全てをガイドに委ねて歩き始めた。
私たちが見えるのはヘッドライトに照らされたガイド、ピーターの足のみ。
昨日まではもしかしてガイドなしで来てもよかったんじゃないかって、
ちょっと気が大きくなっていた私たちだけど、
首を掴まれた子猫のように大人しくなり、ピーターの存在に感謝。
シプトンズキャンプは標高4200mにあって、どこでも爆睡が自慢の私ですら
なかなか寝られなかった。
ひろはほとんど寝られなかったみたいで、歩き始めから体の疲れを訴えていた。
牛歩のような鈍さで、黙々と登り続けた。
細い三日月が金色に輝いて見えた。
私も牛歩なのに、ひろが少しずつ遅れを取っているのを感じた。
「今日は頂上まで行ったらシプトンズキャンプへ帰ったほうがいいかもしれない。」
後でピーターに相談しよう。
そう思った。
空が少しづつ明るくなってきた。
私が一番好きな空の色をした時間。
日が昇ってくるエネルギッシュな時間も好きだけど、
山際が美しく浮かび上がる、吸い込まれそうな、透明感があるのに濃い青い空の時間がたまらない。
そしてもうすぐ頂上!もうすぐ日が昇る。

刻々と色を変えていく素敵な時間。
ひろも私も、眩しい朝日とともに目の前に飛び込んできた美しく荘厳な風景に
頭が痛いのも忘れてポッーっとした。
同じ単独峰という意味で、蝦夷富士こと羊蹄山の夜明けを想像していたけど、辛さのスケールも違った分、現れた景色のスケールは羊蹄山を遥かに遥かに超えていた。
独立峰の頂上からの夜明けなんて、2000m弱の羊蹄山だろうが、3776mの富士山だろうが、ケニア山だろうが大して変わらないのだろうと思ってた。
それでも、山の上で向かえる朝は大好きだから楽しみではあったけど、
お山のてっぺんに立つのがこんなにも嬉しかったのは初めての感覚だった。
嬉しさにポッーとする私たちの前で、ピーターが自分のバックパックからごそごそと魔法瓶を取り出して湯気をモコモコさせながらホットティーをカップに注いでくれた。
他の人のガイドは手ぶらだったりするのに(こんな高山を何時間も歩くのに手ぶらでいいのか?とも思うけど)ピーターは何ででっかいバックパックを背負ってるのかなと思っていたら、まぁこんな素敵なものが入っていたなんて、心も体もテンションもすっかりホットに。
「さぁ、サーキットを歩きにいくよ」とのピーターの掛け声に、
二人とも何の疑問もなしに「おっしやー」っと腰をあげた。
頂上に着いた嬉しさで、さっきまで頭がキンキンに痛かったこと、いつもより格段に弱りながら歩いていたひろのことをすっかり忘れてしまっていた。

ついつい勝手に”モリ蔵”と命名してしまった可愛いお化けのような植物。
人生に巻き戻しが効くなら、
ここでシプトンズキャンプへ下山するべきだった。
そうしたらチョゴリアルートを通って帰ってこれたに違いない。
日頃起きてしまったことについてはあまり悔やまない私だけど、
何度か・・・たら、・・・れば、と思ってしまった。
それほどにチョゴリアルートは楽しみだった。
でも今回、チョゴリアルートを通らずに下山したことは勇気ある決断だったと思うし、
100%間違いではなかったと思ってる。
自分の体力を過信してはいけないこと、高山病をなめてはいけないこと、
常に万が一を考えながら行動しなければならないこと、事前に下調べは入念にしなければならないこと、いくらお金を払ってガイドを雇ったとしても自分のことは自分で責任をもって行動しなくてはならないこと、学ぶことが沢山あった。
20歩歩いては異常なほどに鼓動が早くなり呼吸困難になりそうになって、1分休む。
自分でも気が狂いそうなくらいノロくて全然距離を稼げない。
でも、20歩という数字がだけが自分を冷静に保っていてくれていた気がする。
これを続ければ、これだけをなんとか続けたらいつか必ずハットに戻れる。
その思いだけが私の足を動かしてくれた。
最後の登りを登りきってハットの緑の屋根が目に入った瞬間、
自分たちが生きていることに感謝した。
たかが山登りでしょ、大袈裟なと思うかもしれない。
おとといの私ならきっとそう思ったに違いない。

標高4000m付近にも岩ハイラックスというウサギより少し小さいサイズの動物が生息している。ネズミの仲間かと思いきやゾウと近縁だそうな。
友人のロッジの窓からは今日もくっきりケニア山が望める。
ありがとう、ケニア山。


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