Dec,06,2008

クナイトラ(クナイトラ)。ゴラン高原の北東にあるこの小さな街の名前を聞いたことがあるだろうか。
シリア領だったゴラン高原は、67年の第3次中東戦争によりイスラエルに占領された。
その後、73年の第4次中東戦争を経て調印された解放条約により、
ゴラン高原の一部は非武装化され、クナイトラはシリアに返還された。
さらにその後、イスラエルはゴラン高原を事実上併合し、シリアはこれを認めず、
今なおゴラン高原の帰属を巡る両者の主張は平行線をたどっている。

これが一般的に知られている、ゴラン高原を巡る”知識”。
しかし、73年に”返還”されたクナイトラが、
撤退直前のイスラエル軍によって、徹底的に、そして組織的に破壊され、
窓ガラスから電球にいたるまで、再利用できるものは全てイスラエル軍により持ち去られ、
人の住む事ができない完全な廃墟となって”返還”されたことは、
果たして、どの程度報道され、どれだけの人が知っているのだろう。


病院跡。かつて多くの人々を救ったであろうこの部屋も、無残に破壊し尽くされている

クナイトラは、73年に破壊されたままの状態で保存されている。
その姿は余りにも壮絶で、青い空と小鳥の声がむなしく感じられる死の街。


かつて温かくて優しいシリア人家族が住んでいて、ささやかな生活を営んでいたのだろう。今はその気配すら感じることができない。


この街には未だ地雷が埋まっていて、自由に歩くこともできない。

イラクでは、理由もなく家族を殺され、家を理不尽に破壊され、一瞬にして全てを失った人が、
悲しみと憎しみと絶望のあまり、銃を持ってテロリストに加わるのだという。
クナイトラの廃墟を目の前に、その話が頭から離れなかった。
徹底的に破壊された自分の家を目の前にして、人々は何を思うだろうか。
その人がイスラエルに復讐を誓ったとして、果たしてその人を責めることができるのだろうか。


教会跡。窓ガラスも、水道管も、装飾も、そして電球さえも持ちさられた。

戦争は悪だ。そしてテロは悪だ。まぎれもなく卑劣で、残虐で、最悪の行為だ。
では、その悪を作り出したのはいったい誰なのだろう。
イスラム=ジハード=テロリストという馬鹿げた図式がマスメディアによって擦り込まれ、
テレビゲームみたいに正義と悪が明確に区別され、
戦争をする本当の意図が、”マネー”から”正義”へと巧みに摩り替えられる。

ちょうど時を同じくして、インドで残虐なテロ事件が発生した。
憎しみが憎しみを呼び、テロという暴力が報復という別の暴力を呼ぶ。

強い者が弱い者を叩き、弱い者はいずれ力を得て、かつて強かった者を叩く。
かつてのヨーロッパ諸国や日本がそうであったように、
そして今のアメリカやイスラエルがそうであるように、
将来はどこかの国が、同じ過ちを再び繰り返すのだろうか。
過去の愚行を学び、将来に生かすために僕らは歴史を学ぶはずなのに。

クナイトラの破壊された病院の壁には、誰が書き残したのか、
“同じことが次はイスラエルの首都で起るだろう”という落書きが残されていた。


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