自転車走行の最終日。最終目的地サンティアゴ・デ・コンポステーラまでは僅か50km。
4年9か月の旅が終わるその日、僕はいつもと変わらない静かな朝を迎えていた。
静かだ。
何度となく「さあ、いよいよ今日で終わりだ」と自分に言い聞かせて気持ちを盛り上げようとするのだけど、心は一向に反応を示さない。
旅の終着点をサンティアゴに決めたのは約2か月前のことだった。
その直後は、何をしていても「これも最後、あれも最後」とセンチメンタルな涙が出てきたのに。
今日が特別な日だという実感が湧かないまま、いつもと変わらない気持ちで、少しずつ、でも着々とゴールに向けてペダルをこぎ続けた。
2013年6月12日午後2時、サンティアゴの大聖堂に到着。
自転車を置いて、大聖堂前の広場に寝転がる。
ここをゴールと決めてから、幾度となくこの広場に寝転がる瞬間をイメージしてきた。
イメージの中の僕は、マラソンランナーがゴールテープを切る時のように、満足感に満ち溢れた表情で、いつも大粒の涙を流していた。
でも現実の僕は、涙もなく、ただ静かに空を見上げいた。
他の巡礼者たちが作り上げる歓喜の輪を、遠い世界の出来事のように思いながら。
本当に終わったんだろうか。
明日も朝起きたらパッキングを始めてしまいそうだ。
ここから日本まで走るんだよと言われたら、何の疑問も持たずに走りだすかもしれない。
ゴールに到着してもなお、旅の終わりを受け止められずにいる。
これで、本当に終わりなんだろうか。
数多くの峠の頂上で味わってきた充実感、各大陸の小ゴールで味わってきた満足感、
そのどれよりも大きな達成感を味わうはずだった僕の心は、それを見つけられず彷徨っていた。
今、ようこはどう感じているんだろう。ふと隣にいるようこに視線を移した。
隣で静かに座っていたようこは、うっすらと涙をたたえていた。
そして、静かに僕を見つめ、僕にこう言ってくれた。
「ひろ、ありがとう」
そのありがとうは、いつものありがとうと同じように優しく、でもいつものありがとうとは全く違う響きを持っていた。
この5年間に対する思いが、この旅の全てが、その言葉には籠められていた。
自分の気持ちを整理できずにいた僕は、その言葉を聞いた刹那、心がすっと溶けていくのを感じた。
この旅に区切りをつけるもの、それは達成感ではなく、こんな優しい気持ちだったのか。
「ありがとう」その言葉を聞いて、旅への感謝を想った。
その時、あんなに静かだった心から一気に感情が溢れ出してきた。
胸がいっぱいになり、鼻がツンとする。目頭がかっと熱くなった。
そして僕の心が、ゆっくりと旅の終わりを受け入れ始めた。
ああ終わったのだ。旅が終わったのだ。
多くの人に支えられ、応援され、この旅を始めることができた。
数え切れない素晴らしい人々との出会いがあった。
世界中で受けてきた無償の優しさ、笑顔。
魂を震わす素晴らしい地球の姿の数々。
その全てに支えられて幸せに過ごした、美しい日々。
そして何よりも、誰よりも、
いつも傍にいてくれて、この旅の全てを、文字通り全てを分かち合った、掛け替えのない最高のパートナー。
旅の終着点に、僕は自分自身の満足感を探し求めていた。
同じ時、同じ場所で、ようこは真っ先に感謝を思い、この旅を「ありがとう」という言葉で表した。
そんな彼女と一緒に旅ができたことを、これからも一緒にいられることを、誇りに思う。
「ありがとう」
今にもこぼれ落ちそうな涙を必死にこらえながら、やっとそれだけを返すことができた。
それ以外に言葉は浮かばない。でも他にどんな言葉が必要だというのだろう。
57か国、走行距離約3万5000km、4年9か月に及んだ僕たち二人の自転車旅が終わった。
ここまで僕たちを導いてくれたすべてのものに。
ありがとう。