May,29,2011

イスラム教徒が9割近くを占めるインドネシアだけど、バリ島ではインド由来のヒンドゥ教が信仰されている。
数えきれないほどの寺院が建ち並ぶだけじゃなく、一般民家も信仰に基づいて設計されていて敷地内に必ず祭壇があるので、バリに着いたばかりの頃は民家なのか寺院なのか区別がつかないほどだった。
村を歩けば、店の前、家の前、寺の前、とにかく村中がお供え物であふれかえっている。そして、あちらこちらでお祈りともにお供え物を捧げる人たちと出会い、日がなお供え物をこしらえる人たちの姿が目に入ってくる。
さすが神々の島。

滞在中、オダランという祭りに偶然出くわした。
偶然とはいえ特別ラッキーというわけでもない。オダランは210日に1度行われる上に、無数にある寺院がそれぞれ主催しているので、毎日のようにバリ島のどこかでオダランが行われているのだ。
オダランがあると、人々は正装をし、頭にお供え物を載せ、列をなして寺院に出かける。
そして寺院ではガムラン合奏に合わせてナマハゲのような聖獣バロンが踊りを捧げ、それが夜中まで延々と続く。

バリの人たちは、一体どれだけの時間を信仰に費やしているのだろう。
毎日大量のお供え物を用意してそれを捧げるだけで時間がかかるのに、さらに定期的にお祭りまであるのだから大変だ。
バリで信仰を維持するには、とにかく時間が必要だ。

でもバリ島は、こういう時間のかかる信仰にぴったりかもしれない。
なにせここは南国、ボーっとしていても食べ物が手に入る。
ちょうどドリアンの季節だったので、安宿(ロスメン)の庭にあるドリアンの木からは、一日何度もドリアンがどすんと大きな音をたてて地面に落ちてきた。他にもバナナにマンゴー、ランブータン、キャッサバにイモと、自分の庭だけでも食べるものに事欠かない。
日差しが強くて雨が多いバリでは、ほっておいても植物が伸び伸びと育ち、水田では一年に何期もコメを収穫できるそうだ。
そのお陰か人々は基本的にのんびり。あくせくしなくても食べ物には困らないさとDNAに刻み込まれているに違いない。
そしてその余った時間は、基本的にボーっと過ごして、それでも余った時間でお供え物を作ってみたり、宗教儀式を考案したり、それをゆっくりのんびり実践したりするんだろうか。
もちろんそんな単純なものじゃないんだろうけど、バリののんびり空気に浸っているとそんな風に考えてみたくもなる。

それにしても南国でこんなにゆるゆると暮らしていけるなら、人類の祖先がこぞって南国に来ても良かったと思うのに、実際には砂漠で暮らす人、地上の半分しか空気がない高地で暮らす人、極寒のパタゴニアで生きる人などさまざまだ。
どういう理由でそこに定住することになったんだろうか。
意外に理由なんてなくて、“ただ何となく”そこに住みついたというだけかもしれない。
そんな大昔の人たちの決断をあれこれ妄想するのも面白い。

まあそういう僕だって、南国に移住したいとは思わないのだけど。
だって日中暑すぎて何にも出来ないんだもの。


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