Mar,11,2009

最初に目に飛び込んできた動物はキリンだった。
自転車や徒歩で自由に回れる国立公園、ヘルズゲート・ナショナルパーク。
その敷地内に入った途端、人間の生活の匂いが一気に消え去り、
自然と動物が作り出す別世界にお邪魔してしまった、そんな畏まった気持ちになる。

いつもと同じ自転車で、同じ格好で、同じ装備で、公園内をゆっくりと進んでいくと、
直ぐに目の前を悠然と歩くキリンを発見し、感動の余り自転車を漕ぐのも忘れてボーっとする。
はっと気付いてを辺りを見回すと、シマウマの群れが列を作ってゆっくりと歩いている。
ガゼルやインパラの群れが僕らを警戒して一目散に走り去る。
バッファローは一定の距離を保ってじっと僕らを観察している。
イボイノシシの親子は、僕らに気付いたのかどうか、ゆっくりのんびりと草を食べ続けていた。
そこには、彼らにとっての日常が、ゆったりと、ゆっくりと、流れていた。


大好きなキリン。優雅な動きに癒される。

この国立公園に車で来る人はあまりいない様で、辺りに人工的な音はほとんどない。
聞こてくるのは、僕らの自転車の車輪がゆっくり回る音と、いろんな色や形をした鳥たちのいろんな鳴き声と、たまに聴こえてくる動物たちのいななきだけ。
なんて静かで平和な世界なんだ。


自転車で走っていると、シマウマに道をふさがれたりする。

夕方、公園内の見晴らしの良い丘の上にあるキャンプサイトにテントを張った。
公園のゲートで入場者リストをチェックした限りでは、今日この公園内に泊まるゲストは僕らだけだった。この広大で平和な楽園を、今夜は僕らが二人占めだ。なんてラッキーなんだろう。

夕食後、小さな焚き火を起こし、それを代わる代わる見張りながら、
丘の淵まで歩き、そこでヘッドランプを消して空を見上げる。
低く輝く半月が、優しい影を作り出していた。
南半球の星空を見上げながら、この丘の下にいるはずの動物たちの存在を想う。
今日という日は、僕らにとっては特別な一日だけど、彼らにとっては変わらない日常なのだ。
そんな事をぼんやりと思っているうち、日本の友人やお世話になった人たちを思い出す。
そして、あいつがここにいたらこんなこと感じるのかな、
あの人だったらこんなことを思っているのだろうか、なんて勝手に想像する。
世界にこういう時間が流れている場所があることを、
僕らの大好きな人たち全員に体験して欲しいと、心から願う。


キャンプサイトからの眺め。この下に動物たちがいるとおもうだけで心が豊かになる。

僕の大好きな写真家兼作家の故星野道夫氏は、
日々の慌しい時間とは別に、この世界には悠久の時間が流れていること、
そのことを日々の営みの中で意識することの大切さを、いろんな形で繰り返し語っている。
僕がその言葉の意味を初めて感じたのが、ネパールの山の中で満天の星空を眺めた時だった。
その時感じた気持ちとは違うけれど、だけど同じような気持ちを、このケニアで感じた。

ああ、僕は今、アフリカにいるんだ、ケニアにいるんだ。
そう強く実感した。


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