Dec,14,2008

シリアの首都ダマスカスから3日かけてヨルダンの首都アンマンに到着し、
そこで一旦自転車を宿に預け、バスでイスラエルの聖地エルサレムに来ました。


嘆きの壁に集まり、祈りをささげるユダヤ教徒。金のドームはイスラム教の聖地岩のドーム。

エルサレム。この街で感じることは、うまく言葉で表現できません。
一辺約1kmの城壁に囲まれた正方形の小さな旧市街を、
ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒、アルメニア人が分け合い、
それぞれが隣り合わせに日々の暮らしを営む街。
ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒それぞれにとって最も重要な聖地が存在し、
それらが今でも徒歩数分の位置にひしめく街。
何千年にもわたる複雑すぎる歴史を持ち、破壊と再生を繰り返してきた街。

それぞれの聖地では人々が真摯に祈り、それぞれの地区では人々が日々の生活を営む。
そして街の至る所に監視カメラが設置され、銃を持った私服姿の兵士が道行く人を監視する。

ユダヤ人が一心不乱に祈る”嘆きの壁”の向こうには、イスラムの聖地”岩のドーム”がそびえる。
イスラム居住区にあるバザーの喧騒の中を、キリストが十字架を背負った最期の道が貫く。
ミサがもれ聴こえてくる教会の前を、ユダヤの正装をした人たちが闊歩する。

聖地で祈る人々の姿は真摯で、純粋で、感動的で、とにかく圧倒される。
この街で祈ることが持つ意味は、無宗教の僕にとって、理解や想像の域を超えるものです、


嘆きの壁で感極まって涙を流すユダヤ人。


キリストが十字架に磔にされて最期を遂げた聖墳墓教会。

この街を歩いていると、この町の歴史を知ると、
誰もが圧倒的に正しくて、誰もが重要な間違いを犯しているような、
どうしたらいいのか分からないもやもやとした感情が湧き上がってきます。
何もかもが重すぎて、ここで感じたことを自分なりに消化するには時間がかかりそうです。


一心に祈り、自然発生的に祈りの歌の合唱がはじまり、そしてまた祈る。はじめてみる光景にただ圧倒されてしまう。

ただ、一つだけ確かに感じたのは、
この街の人々は、どの宗教であっても、
望んで争いをしてきたのではなく、他の宗教や他人に優越しようとしているのではなく、
互いに干渉することなく、それぞれの生活や祈りを静かに過ごしているということ。
この街で起きた歴史や惨劇は、今なお続く悲しい争いは、
この街の人々が望んで作り出したものではないということ。
エルサレムの街に罪はなく、純粋で敬虔な人々が、日々の平和を望み、日々の生活を営む街。

イスラエルへの旅を決めるまでには、治安を始め色々な躊躇があったのだけど、
この街に来て本当に良かったと思っています。

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